合格者の声	|	英進館

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合格者の声

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Congratulations!!

この春、英進館に
多くの合格の声が届きました。
合格体験記『巣立ち』の中から
一部を抜粋してご紹介します。

英進館
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合格体験記 中学受験

ありがとうでは足りない感謝

A・Yさん

久留米大学附設中学、弘学館中学、早稲田佐賀中学、致遠館中学 合格

 久留米附設の合格発表日。私は母の帰りを待っていました。ウェブで結果を見るために。しかし、母よりも早く、郵便物が来ました。私が合格か、不合格か知らせる通知でした。自分で開けていいのか迷っていると、封筒の中身が透けて見えました。「合格」と。瞬間私は泣きそうになりました。入試が終わった瞬間とは違う、うれし涙。母に伝えたくなり、電話をしました。しかし、母は仕事中のため出ませんでした。仕方なく、うずうずしながら母を待っていると、母が焦った様子で帰ってきました。私はいつもの、「お帰り。」ではなく、「受かったよ。」と声をかけてみました。すぐに私も母も涙目になり、抱きしめあいました。少し落ちついてから、家族や親戚、そして塾の先生方に結果を伝えました。誰もが自分のことのように喜んでくれました。
 塾に入ってからの六年間は大変でも、楽しかったです。特に六年生の後半。私が目標を見つけ、本気になりだしてから、ライバルに勝ちたいという気持ちで全力疾走すると、見える景色が変わりました。塾にいることがとても楽しくなりました。解けなかった問題が解けるようになる喜びを知りました。そんなことがあったからこその合格だと思っています。だから、支え続けてくれた家族や一緒に競い合った友達、そして、応援し続け、合格へ導いてくださった先生方には、ありがとうの言葉では足りないくらい感謝しています。中学校でも、英進館での経験を糧に日々成長していきたいです。本当にありがとうございました。
 そして、受験を控えている皆さん、大変なことはたくさんあると思いますが、頑張ってください。約一年後に、皆さんが第一志望校に合格して、満点の笑顔になっていることを祈っています。
 最後に、私は将来弁護士になって、困っている人たちを法律という方法で守りたいです。この夢を叶えるため、私は、気を抜かずに、全力疾走を続けます。未来に向けて頑張ります。

積み重ねを自信に

R・Nさん

ラ・サール中学、青雲中学、志學館中等部、鹿児島大学教育学部附属中学 合格

 僕は、小学校二年生のときから英進館に通い始めました。最初のころはラ・サール中学校という頭の良い学校が鹿児島にあることは認識していましたが、まだその時は合格したいとまでは考えていなかったので、クラスが分かれ始めた三年生の時からは、とにかくTZに残りつづけるということを目標に勉強をしてきました。そして、四年生のころから問題も少しずつ難しくなり、その問題を解きこなしていく過程で、少しずつラ・サール中学校の受験に挑戦してみたいという思いが芽生え始めました。
 小六の夏期講習は県内のTZ生が全員鹿児島校に集まり授業を受けたのですが、一日十二時間も授業があったため、さすがにつらいと感じることもありました。しかし、それでも夏を乗り越えることができたのは、ラ・サール合格という同じ志をもつ仲間と少し遠出をするような気分で、毎日JRで鹿児島校へ行き帰りできたからだと思います。つまり、同じ目標を持った仲間と励ましあいながら、合格を目指すことも、自分の勉強モチベーションアップにつながると思います。
 僕は、かなり早い段階で英進館に通い始めたことが合格のカギになったと考えています。そう考える理由は、四年生からの勉強が主に受験で出題されるので、もし、四年生の半ばや五年生になってから英進館に通い始めた人は、特に社会や理科の知識で抜けてしまう部分があるからです。その場合、過去問などを解いたときに知識が足りず、解けない問題が出てきます。それでも、その過去問を解いたときに覚えることができれば、もちろん、受験の時にその知識を活かすことはできます。しかし、四年生以前から英進館に通っている人は、一度授業で習っていて、さらに過去問を解いて知識の復習ができるので、その人たちと比べると、知識の定着度に差があると思います。そして、僕はその差を積み重ねてきたことで、ラ・サールを受験するライバルとの大きな差をつくり、合格をつかみ取れたと思っています。また、積み重ねてきた勉強の量は自信の大きさにも比例してくると考えます。ですから、今まで長い間、英進館で勉強を続けてきたという積み重ねがあったからこそ、僕はラ・サールの入試本番でも、緊張することなく問題を解くことができました。本番で焦ってしまうと、問題がうまく頭に入ってこず、必ずミスが出てきてしまうと思うので、受験生の皆さんは入試本番で、今まで頑張ってきた自分を思い出し、自信をもって、落ち着いて問題を解くということを覚えておいてください。応援しています。

一度きりの中学受験

K・Sさん

筑陽学園中学、久留米信愛中学、筑紫女学園中学、上智福岡中学、西南学院中学、福岡教育大学附属久留米中学 合格

 「中学受験をしたい!」
 私は小学五年生の一月にそう思いました。そう思ったのにはわけがありました。小学五年生の時、クラスの友達がこんなことを話していました。
 「志望校決まった?」
 私はこの言葉を聞いた時すごく疑問に思いました。なぜなら、受験というものは高校受験と大学受験の二種類しかないと決めつけてしまっていたからです。その後、とても気になったので友達にそのことを聞いてみました。すると友達は
 「中学受験のことだよ。」
 そう言われたのを今でもはっきり覚えています。この時はあまり関心を持っていませんでした。けれど、学校から帰って来て中学受験について調べてみた時、私は思いました。
 「中学受験をしたら、人生を変えられるかもれない。」
 そうして、私は中学受験をすることになりました。親と話し合った結果、塾は英進館にすることになりました。
 塾初めてのテスト。結果は総合偏差値三十三と目標にはとても遠いものでありました。落ちこむ私にお母さんは「次は頑張ろう!!」とはげましてくれました。しかし、塾に通うことはそれ以上に大変なことでした。慣れない場所で今までにやったことのない勉強をすることはとても私にとって大変なことでした。それでもお母さんはなにもかもフォローをしてくれました。私には、とても感謝している先生がいます。それは、M先生という久留米本館の先生です。M先生は勉強がつらい時に話を聞いてくれたり、毎日のように質問を受け入れてくれたりしました。もし、M先生がいなかったら、私はなにもできない弱い人だったと思うし、こうやって中学受験を全校合格という結果で終わることもなかったと思います。だから、M先生には感謝してもしきれません。その他にもたくさんの先生方や家族、友達など、たくさんの方々が私を支えてくれました。だからこそ、乗りこえられた中学受験であったと思います。
 これからも私はたくさんの受験や試験に立ち向かうと思います。その受験や試験を受けることができるチャンスは一度きりかもしれません。だからこそ、一日一日を大切に過ごしていこうと思います。

感謝の気持ちを糧にして得た合格

R・Hさん

広島大学附属中学、広島県立広島中学、ノートルダム清心中学、広島女学院中学、広島国際学院中学 合格

 私は小学一年生から六年間、英進館に通いました。入塾するきっかけは、入学準備体験授業に参加して楽しかったことです。最初は楽しく通っていましたが、だんだんテストが難しくなり、泣いてしまって最後まで受けることが出来ず、先生や迎えに来てもらった母にはとても申し訳なかったです。
 また、小学四年生の時にはTZSクラスに入れたけれど、授業についていけず、初めて辞めたいと思いました。でも母が先生と相談してくれて、少しでもがんばれるように作戦を立ててくれました。そのおかげでクラスはTZクラスになったけれど、六年生までがんばることができました。
 でも長時間の授業は本当に頭を使い、体力を消耗しました。六年生の後期は、チェックテストが五時から始まるので、その前に家から塾への移動中、車で夕食を食べました。そして九時半に終わったら、帰りの移動中に母が用意してくれた軽食を食べました。夕食はお腹いっぱいになると授業に集中出来なくなるので食べ過ぎないよう、小さなおにぎりと少しのおかずを毎回作ってくれた母にはとても感謝しています。そして仕事でつかれているのに迎えに来てくれた父にもとても感謝しています。
 受験勉強はと言うと何も特別な勉強法はなく、私はとにかく塾の授業に集中するように心がけました。塾の宿題を終わらせる事に必死でそれ以上に何かをすることは出来ませんでした。それでも受験した五校全てに合格することができました。広島県内で一番難しいと言われている広大附属中学の国語の文章問題は、日頃の読書や六年生になってからのK先生の特訓のおかげで入試の日もあきらめずに取り組めたと思います。どの受験生も同じようにがんばり、緊張している中でいただけた五校の合格は私の宝物となりました。
 これからも私を支えてくれた全ての人に感謝し、中学もがんばろうと思います。英進館の先生方、ありがとうございました。

信じ続けて

K・Tさん

筑紫女学園中学、上智福岡中学、西南学院中学、福岡大学附属大濠中学、久留米大学附設中学 合格

 私が中学受験をしよう、と決めたのは四年生のころでした。ですが、あまり塾に行きたいと思っていなかった私は約一年、自宅で自分で勉強する、というスタイルをとっていました。
 それでも、母や父が教えられないような問題が多くなり、しぶしぶ、五年生の九月に英進館西新本館のSクラスに入りました。
 入塾してからは、最初、しぶしぶ入ったことも忘れ、面白い英進館の授業を楽しんでいました。とくにY先生の授業が好きで、苦手だった算数の授業でしたが、ものすごく楽しかったのを覚えています。
 そして、なんと入塾二ヶ月後にSZに上がることができ、さらに塾での生活を楽しむようになりました。
 そして、六年生になり、TZクラスまで上がり、F先生に算数を教えていただくようになりました。F先生の授業は今までで一番面白くて、五月に一度SZにクラスダウンしてしまった時も「F先生の授業が受けたい。」という気持ちで勉強し、TZに再び上がることができました。
 しかし、夏からのクラスはSZだろうと思っていました。受けた模試の一つが過去最低点数だったからです。ですが先生から伝えられたのはTZクラスでした。あの時、ものすごくおどろいたけれどうれしかったのを覚えています。
 それから、私はTZクラスで受ける授業を楽しみ、受験勉強の山場といわれる夏をクラスの仲間と切磋琢磨して過ごしました。
 ですが、その中で一つの悩みが出てきました。私は周りの人が塾でみっちり教わった基礎を自分でしか勉強していないので、穴のあるところがあり、そこを埋めずにTZの応用問題ばかり解いていたら基礎を勉強することができなくなってしまうのではないか、という悩みです。これは最初、母が心配していたことでしたが、だんだん私も心配にあり、面談で「クラスを下りて、基礎をきたえた方がいいか。」と担任のF先生に相談しました。「その必要はない。Tさんは大丈夫だ。」と笑顔で返してくださいました。
 その後も、心配になってはF先生に相談に行きました。それでも、先生は同じ答えを笑顔で返してくださいました。
 それから、その言葉を信じてTZで勉強にはげみ、迎えた第一志望校の入試当日。
 F先生に「がんばれ!」と送り出され、全力で試験に取り組みました。
 結果は、「合格」。しかも全勝でした。
 これはF先生がはげましてくれたからこその勝利だと感じました。
 みなさんの中に、私と同じように悩んでいる人がいるかもしれません。そんな時は、担任の先生に相談して、先生の答えを信じて、夢を叶えるためにがんばってください。
 最後に、私を全力で支えてくれた先生や家族の皆様、本当にありがとうございました。

一人じゃない!

K・Kさん

熊本大学教育学部附属中学 合格

 僕は、受験を通して友達の大切さと家族の大切さを学びました。
 友達の大切さは、塾の同じクラスの友達と勉強を頑張ったことです。
 その理由は二つあります。一つ目は、テストの結果です。テストの結果で競争して高め合っていきました。「クラスで三位以内!」これが自分の中で出来た感覚でした。二つ目は、塾の自習室です。自習室に行くと仲が良い同じクラスの友達がいて、とても安心して勉強出来ました。
 次に家族の大切さは、塾の送迎で感じました。母がほぼ毎日大変なのに夜九時三十分ぐらいまで送迎してくれて、いつも美味しいお弁当を作ってくれて、母の存在は一番の応援団だと思いました。たまに塾の自動販売機で、紅茶やコーンスープを買って行くと喜んでくれるのでオススメです!
 最後は応援してくれる人達です。題名にも書いてありますが、受験は一人で戦っているのではなく友達や家族、塾の先生、応援してくれる人とみんなで戦っています。H先生は、一緒に喜んで大きい僕を抱えてグルグルしてくれました。
 安心して、試験の前に深呼吸をし、緊張してきたら面白いことを頭の中で考えて塾で習ったことを一〇〇%出して試験に臨んでください!!
 僕は塾のテストで、ずっと判定がEでしたが、最後の一ヵ月でBに上げることができました。今、Eの判定でも塾の先生、友達と一緒にコツコツと自習室で勉強すると必ず受験で成果が出ます!試験の後「塾の順位で三位以内!」に入っている自信と、周りの応援団のおかげで僕は熊本大学教育学部附属中学校に受かりました。

自分の努力を信じて

Y・Kさん

弘学館中学、西大和学園中学、灘中学、久留米大学附設中学、ラ・サール中学、開成中学 合格

 僕は、低学年の頃から英進館の季節講習に参加し、高学年になって本格的に英進館に通い始めました。その頃はまだ志望校は決まっていませんでしたが、どの学校であっても合格できる力をつけるために、コツコツと勉強をしていました。五年生の後半頃から、今の成績であれば灘を目指せそうだと思い、灘中学校を目標にするようになりました。
 六年生の夏頃に、灘クラスの選抜試験がありました。算数だけの試験でした。僕は、算数に自信があったのですが、解答欄を間違えたり、計算を間違えたりするというケアレスミスをしてしまい、良い点を取ることができませんでした。しかし、それまでの模試等、がんばってきた成績が評価されて、灘クラスに入ることができました。
 灘クラスに入ってからは、授業量が多く、内容も難しかったのですが、毎回宿題を確実にこなし、授業の復習をきちんとやりました。僕はケアレスミスが多いことが課題だと先生に教わったので、自分でケアレスミスが多い理由を考えました。その結果、字が雜で、自分の字を読み間違えることと、字を書く向きや場所がばらばらで、どれがどの問題の計算式かわからなくなっていることが問題なのだと気がつきました。それからは、ていねいに、向きや場所をそろえて字を書くよう気をつけました。それらのおかげで、ケアレスミスが減っていきました。
 勉強で忙しい日々を過ごしているうちに、あっという間に受験シーズンになりました。第一志望である灘の前に、二校受験しました。どちらも、自分の実力が出せればきっと受かると信じて、落ちついて会場に入りました。試験会場では皆が必死になって次の科目の勉強をしていて、英進館の模試の時よりも緊張した空気でした。試験が始まると、集中しすぎたせいか急に体が熱くなり、冬にもかかわらず、汗を流しながら問題を解きました。また、おなかが痛くなったので、休み時間に、念のため持ってきていた薬を飲みました。落ち着いて会場に入ったとはいえ、慣れない空気に緊張してしまったのかもしれません。
 この経験から、灘の入試では、体温調節ができるように服装も工夫しました。また、水なしで飲める薬も持っていきました。一日目は、門の前で英進館の先生に会って、安心して会場に入りました。試験が始まる直前は、これまで僕を支えてくれた先生方や家族や友達のことを思い浮かべ、今までしてきた自分の努力を信じ、絶対合格するぞという強い気持ちで鉛筆をにぎりました。試験が始まると試験の雰囲気に慣れたのか、緊張せず、今までにないほど気持ちよく問題が解けました。どの教科も見直しをして、やりきったと満足して会場を出ました。その夜は安心してよく眠り、二日目も何の問題もなく終わりました。結果は合格でした。ホームページで合格を確認した時は、本当にうれしかったです。しかし、その後も試験は続きます。最後の開成まで気を抜かず、試験対策を続けました。最終的にすべての受験校に合格することができました。
 最後になりましたが、六年生の春まで指導をしてくださり、灘クラスに行っても見守ってくださった小倉本館の先生方、ハイレベルな授業以外にも人生における大切なことをたくさん教えてくださった灘クラスの先生方、受験を応援してくれた家族や友人達、本当にありがとうございました。
 これから受験を迎える皆さん、皆さんのことを支えてくれている人への感謝の気持ちを忘れないでください。皆さんが本番で自分の持っている力を全て発揮し、努力が実ることを心から祈っています。辛いこともあるでしょうが、自分を信じてがんばってください。

貪欲に学ぶ

M・Iさん

久留米大学附設中学、福岡大学附属大濠中学、向陽中学、大分大学教育学部附属中学、岩田中学 合格

 私は、小学校の一年生の秋から英進館に通い始めました。通い始めのクラスはSAで、学校の勉強より少し進めばいいかという軽い感じでしたが、小三の二月からTZクラスに上がり難関校受験をすることを前提として勉強をはじめました。それから組分けテストにこだわり、成績も上がったり下がったりしながら五年生が終わりました。私の場合、社会が絶望的に悪く、算数や理科の計算などでカバーできていましたが、社会で足をひっぱられ、カバーしきれないほど悪いこともあったため、必死に社会の勉強をしました。
 六年生になると全体的に急に難しくなり思うように点数がとれない日々が続いたけど計算や授業の復習などをしっかりやり、小テストにもこだわっていたおかげでだんだん成績も安定してきました。
 私は六年生の夏が一番きつかったと思います。毎日の授業は朝から夕方まであり、小テストに向けての勉強や宿題をしていると気づいたら夜遅くになっていることもよくありました。それでも十二時を過ぎないようにして睡眠時間を確保しようと気をつけました。夏の毎日のバトルにこだわり、お盆の日帰り合宿でメダルをもらえたときには本当に嬉しかったです。私は六年の秋に算数の過去問をとにかく解き続けた結果がでたのか成績が急上昇しました。この結果は担任のT先生の言ったことを確実に実行してきたからだと思います。そこから算数も高得点がとれるようになり成績も安定してきました。
 久留米附設中学の受験当日には得意の算数が想像以上に難かしく、かなり焦りましたがどうにかするしかないと自分を奮い立たせ、合格することが出来ました。私はこの受験で先生の言うことを信じ必ず実行してきたから合格出来たと思います。 最後に、お世話になった大分校の先生方やよりよい教材を準備してくれた英進館、そしていつも送迎やお弁当などを作ってくれた家族に本当に感謝しています。この合格は、周りの人の支えがあっての結果なので中学受験をスタート地点として、この経験を活かして頑張っていこうと思います。本当にありがとうございました。

中学受験体験記

N・Uさん

明治学園中学、照曜館中学、小倉日新館中学、九州国際大学付属中学、西南女学院中学 合格

 私は、五年生の春期講習から英進館に通い始めました。姉と同じように中学入試に挑戦してみたいと思ったのがきっかけです。通って間もない頃は宿題や、授業の復習などしっかりこなせていました。しかし、小六になり、夏がすぎ、受験が間近になるにつれて勉強しなければならないことも増えてきて、勉強を難しく、つらいものと感じるようになったのです。そのため、勉強をやめたいと思うようになった時がありました。しかし、その一方で自分が始めた受験勉強を途中で投げ出したくないという気持ちも強く、どうしたら、中学入試に向けて頑張れるかを考えるようになりました。そこで、家族にも協力してもらい、夜の勉強時間を一時間増やすことにしたのです。そして、習ったことをその日のうちに復習することを習慣にしました。すると授業の記憶がはっきりしているうちに、復習することで、授業で勉強した内容が定着するようになり、自信がもてるようになりました。
 受験直前の授業では「やるぞ!コール」をしました。今まで一緒に頑張ってきた友達と声を合わせ、「おー」とさけんだ瞬間は今でも鮮明に覚えています。自分は一人ではなく、仲間と共に受験を頑張ってきたのだと気持ちが高まりました。そして、最後の最後まで気を抜くことなく、五つの中学校を受験できたのです。結果、私は五校すべての合格通知を手にすることができ、二年間の努力が報われたのを実感しました。受験をする皆さんも努力は報われると信じて合格を勝ち取ってください。
 中学受験をするきっかけを作ってくれ、最後まで応援してくれた両親や、姉には本当に感謝しています。そして、苦手な理科をサポートしてくれたO先生をはじめ、私を合格に導いてくださった戸畑校の先生方、本当にありがとうございました。

蒔かぬ種は生えぬ

W・Kさん

西南学院中学、福岡教育大学附属福岡中学、筑紫女学園中学、上智福岡中学 合格

 私は四年生の二月から英進館で勉強を始めました。受験をすることを決めたのは、兄が中学受験をして第一志望校に合格し、充実した生活を送っているのを見たからです。始めのうちは、何もかもが新鮮で楽しく通塾していました。しかし、授業は楽しいと感じていたのにテストの結果がどんどん悪くなっていることに気づきました。このままでは合格なんて夢のまた夢なのではと、怖くなり勉強をするのが嫌になっていきました。
 六年生になり環境を変えて、再出発することに決めました。最初に私が変えたのは、授業をしっかり聞いて勉強を自分事にすることでした。以前は聞いていても頭に入ってこず、他人事のようでした。自分事にすることとは、休み時間など空いた時間を利用して、小テストの対策、復習、先生から教わった勉強方法をやってみるなど自分で考えて行動することです。国語のF先生からは特に、漢字や語句を確実に覚えることの大切さを教わりました。小テストでは満点をとれるようにこだわって勉強しました。その結果、国語は得意で好きな教科になり、自分の武器にすることができました。
 次に変えたのは、疑問に思ったことや間違えた問題は徹底的に調べたり解き直しをしたりするようにしたことです。間違いの原因を考え、関連することをテキストで調べて、できるようになるまで復習をしました。それらをあきらめずに繰り返すことで着実に解ける範囲を広げることができました。
 最後に私が受験をとおして学んだことは、あきらめずに継続することの大切さです。宿題をすることや、テストの復習は当たり前にできても、それを長い間継続することは難しいことです。継続させるために私が考えたポイントは一つだけです。知っていることが増えると知りたいことが増えるということです。得た知識は受験勉強だけでなく生活の中でも広がっていきます。すると、学ぶ事が楽しくなり、継続して勉強することができるようになりました。
 学ぶ楽しさを教えてくださった舞松原校の先生方や、一緒に競い合った仲間達、応援してくれた家族に感謝します。ありがとうございました。

英進館生でよかった

K・Hさん

青雲中学、早稲田佐賀中学、久留米大学附設中学、ラ・サール中学、東海中学 合格

 「君たちが解けない問題は絶対に他の人は解けない。」一月二十八日、ラ・サール中の入試日。ラ・サール学園のヨセフホールに集まった英進館の受験生たちに先生が言った言葉だ。
 当日の朝、英進館がラ・サール学園のヨセフホールを貸し切り、激励会を行った。英進館のラ・サール全受験生が集まっており、その場の空気ははりつめていた。ぼくは、その空気のおかげで入試に向けて気合いを入れたのとともに、たたかうたくさんの仲間のいる英進館生でよかったと思った。
 ぼくは小学校入学のタイミングで福岡から鹿児島へ引っ越してきた。幼稚園の頃から仲の良かった友達も福岡の英進館で頑張っていたので、ぼくも迷うことなく英進館の鹿児島校へ入塾した。そして、ぼくは成績優秀者一覧にのる事を当面の目標にした。目標の成績優秀者一覧にのり、福岡の友達と並んで名前がのった時はとても興奮したのを今でも覚えている。ぼくは、英進館だからこそやる気が出せたと思う。
 英進館の授業は、先生方の熱心な指導のおかげで連日何時間続いても興味を持って受ける事ができた。だからぼくは、この英進館の生徒でよかったと思う。

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合格体験記 高校受験

きっかけをつくる

S・Kさん

東筑高校、早稲田佐賀高校、九州国際大学付属高校、自由ヶ丘高校 合格

 公立高校入試のあと、僕は泣いていました。入試後の自己採点会での得点があまりにも酷かったからです。二二七点。志望校の去年のボーダーを十点以上も下回っていて、正直落ちたとしか思えませんでした。「合格は到底無理、今までの努力は何だったのだろう。」そんな思いがあふれ、涙が止まりませんでした。しかし、その努力は報われました。合格発表のあの瞬間は、ずっと忘れないと思います。
 僕は、特別勉強ができるタイプではありませんでした。塾の授業を一回受けるだけでは理解できず、自分で何度もやらないといけない、いわゆる「コツコツ型」の人間でした。小六の冬から英進館に入り、中一でなんとかTSになったものの、クラスの大部分が自分より遥かに学力が高く実力テストではいつも下から五番目ぐらいでした。志望校の判定はずっとC。勉強に対してあまり熱がこもっていませんでした。二年生になるとさらに悪化し、部活動とゲームに明け暮れていました。平日は部活動、休日は友達と長々とゲームをし、勉強時間は激減しました。正直とても楽しかったです。でも勉強はそんな遊び呆けていた僕を待ってはくれませんでした。元々自分で何度も繰り返し勉強しないとついていけない「コツコツ型」である僕が勉強をしなくなっていったら・・・さあ大変です。元から悪かった実力テストがさらに悪くなり、偏差値三十台を連発、酷いどころの騒ぎではありません。しかも志望校の判定もDになることもあり、やる気は無くなる一方でした。
 そんな僕が変わったのは三年生の一学期でした。三年生最初の公合判で原因不明の偏差値六十超え。次の公合判も偏差値六十二。志望校の判定は初めてのAで、今までDかEだった九国の難関もB判定。なぜこんなに上がったのか全く分かりませんでした。しかし、ここで僕に火がつきました。「今しかない。」ここから本当の受験勉強が始まりました。
 夏休みはほぼ毎日塾に来て朝十時~夜九時まで勉強していました。苦手な数学も一生懸命やりました。相変わらず学校の課題は最終日に徹夜してやっていましたが、とても充実した夏休みを過ごせたと思います。
 その成果が出たのか、二学期以降はB判定以上を安定してとることができました。また、三学期は大予想模試の復習もしっかりと行って、適度にゲームもしながら落ち着いて過ごすことができました。そして、夏休みからの頑張りがあったからこそ、入試で思うように力が出せなくても合格にたどり着いたのだと思います。
 僕が受験を通して大切だと思ったことは、どんなに小さくてもいいから頑張るきっかけを見つけることです。
 最後になりましたが、今まで僕を支えて下さったY先生、T先生、T先生、E先生、自分の絵を描いてほしい、とお願いしてきたヤーニャことY先生、そして折尾校の先生方、本当にありがとうございました。次の大学入試では、発表前に合格を確信できるよう、高一から「コツコツ」頑張ります。

灘クラスで得た教訓

Y・Yさん

修猷館高校、西大和学園高校、ラ・サール高校、福岡大学附属大濠高校 合格

僕は地方最難関校である西大和とラ・サールに合格し、全国最難関校である灘に僅か3点差で不合格となった。この結果を通して読者が大切にすべきことをいくつか挙げよう。
一つ目は、英進館の先生方が教えてくれたことを会得・体得する事だ。「日本で世界一の英進館」の先生方のアドバイスは絶対に役に立つと信じ、それを実行したことで、自分を高めることができた。また、実際に先生方がおっしゃっていた内容が入試に出たことがあったので、復習を重点的にする事も大切だ。
二つ目は、ライバルと切磋琢磨することだ。特に、自分が所属していた灘クラスには自分を遥かに上回るメンバーがたくさんいた。数学の超難問を作ってみんなを悩ませる人、雑学をなんでも知っている人、理科で解説よりも優れた方法で解く人など…このような人たちに魅了されたことで、演習や模試で追いつきたいと思うようになり、勉強に対するモチベーションを維持することができた。
三つ目は、(これが自分の最も伝えたいことだが)油断を絶対にしないことだ。実際、灘模試で合格圏内に入っていたからといってあまり復習をせず、今までの勉強が疎かになったり、灘高入試一日目の数・理の出来が良かったので合格を確信し、二日目の苦手な英・国の勉強を怠ったりしたことで、本番で思うように点数が取れず結果、不合格となってしまった。
有名な四字熟語である「油断大敵」という言葉にあるように、油断は失敗を招くものであるという教えを大切にしてほしい。例え模試などで1位になったとしても本番は何があるか分からないと思い、今以上に勉強に励もうとすることが大切だ。
以上、3つのことを心に留めてもらえれば、読者たちの成績の向上が期待できると思う。これから受験があり、不安を抱いている人はこのことを踏まえ、勉強に励んでみると良い。君たちの健闘を祈っている。
最後になるが、数学を最強の武器にしてくれた西新本館のH先生、とても論理的で分かりやすかったM先生、いつでも相談に乗ってくれたA先生、理科の楽しさを教えてくれたY先生、灘クラスの生徒を誰よりも大事にし、数学の真髄を教えてくれたT先生、そして僕をここまで飛躍させてくれた灘クラスを始めTZや特Sのメンバーたち。本当にありがとうございます。このことは自分の糧として一生残り続けるであろう。

受験を振り返って

A・Hさん

福岡舞鶴高校、城南高校 合格

 私は、中学一年生から英進館に通い始めました。きっかけは、学校の定期考査の数学で平均点以下を取ったことでした。初めて受けたクラス分けテストでは、数学の偏差値が三十台で絶望的でした。しかし、先生方の熱心なご指導と面白い授業で、楽しく通うことができていました。
 私が受験を本格的に意識し始めたのは、中学三年生の夏期講習からです。周りの人たちも本気で勉強に取り組むようになり、焦りを感じていましたが、まだ受験までは時間があると考えており、なかなかやる気スイッチが入りませんでした。十一月の初めにあった、とある高校の説明会で刺激を受け、やっとエンジンがかかりました。そこから私は毎日自習室に通い、分からないところがあれば、積極的に先生に質問するようにしました。
 今までよりも大幅に勉強時間を増やし、自信満々で臨んだ、第一回大予想!模試。これまでの模試で一番手応えがあった模試でしたが、第一志望校の判定はE判定でショックを受けたのを覚えています。その後の大予想!模試では、ジェットコースターのように、成績が上がったり下がったりするのを繰り返し、なかなか安定しませんでした。不安を抱えながらも与えられた課題に真面目に取り組んでいました。
 そして入試前日、私は緊張からか熱を出してしまいました。不安でいっぱいでしたが、先生方が激励会で言われたことを思い出し、やりきろうという気持ちになりました。
 迎えた入試当日、解熱剤を飲み、なんとか熱を下げ、会場に向かいました。「今までやってきたことを信じて、がんばるしかない。絶対に合格してやる。」という強い気持ちを持って臨むことができました。大予想!模試で本番に近い環境で受けることができていたため、あまり緊張しませんでした。また、見たことのある問題が多くあったため、気持ちを落ち着かせて試験を受けることができました。
 これから受験を迎えるみなさんへ。入試前にハプニングが起きても大丈夫です。自分の努力や周りの人が支えてくれたことを信じて、強い気持ちを持って臨めば、必ず合格できます。決して諦めないでください!
 最後に、模試で思うような結果が出なくても励まし、勉強に集中できる環境を作ってくれた家族、本当にありがとう。私を合格へと導いてくださった前原校の先生方、本当にありがとうございました。高校でもがんばります。

鶴丸までの道のり

I・Sさん

鶴丸高校、鹿児島高校、樟南高校 合格

 鶴丸高校を第一志望校に決めたあの日。今でも鮮明に覚えています。中学三年生の夏休みの真っ只中に先生と話をして、目指してみようということになりました。その頃私はSTSクラスだったので、このままだったらいけるかも、と軽い気持ちでした。しかし、夏休み明け一発目のテストで、鶴丸合格への長い道のりを知ることになりました。初めての理科と社会のテストは、苦手意識を感じていた科目だったので、それなりに勉強をして臨みました。結果はD判定でTS2まで落ちてしまいました。もう無理かもと思ったけれど、ここで諦めてはいけないと強く感じ、それからは勉強漬けの日々でした。学校から帰宅してから二十分で家を出て、休みの日も自習室に行き、できるだけ長く塾にいられるようにしていました。その中で私がみなさんに伝えたいことをつづっておきます。
 まず一つ目は、早いうちから自分の理想とする習慣を作っておくことです。朝六時に起きて三十分間勉強をする、二十三時までには寝るなど、それぞれの理想があると思います。一年後、または二、三年後、自分がどんな状態で勉強をしていたいかよく考えて、ぜひ書き出してみて下さい。これは高校受験を体験していないと難しいことだと思います。しかし、理想を描き、今日からこつこつ始めれば、いつかは習慣になります。十二月頃から、塾で配布されるテキストの量が増え、学校のテストの訂正等もあり、二時に就寝し六時に起床という日が続きました。たくさん勉強をしたことで達成感は感じるけれど、得られる量はあまり変わらず、膨大な勉強量を疲れを感じることで確認するようになっていました。みなさんにはしっかりと睡眠時間を確保してほしいです。
 二つ目は、自分をよく知ることです。苦手な教科のどの単元、どんな問題ができないのか、好きな教科はどのように勉強しているのか、など少し面倒だと感じるかもしれませんが、目を向けたくない部分ともしっかり向き合うことこそ、自分を知る第一歩です。また、なかなか結果が出ず、悔しさと不安でいっぱいな日がいつか来ると思います。自分を見失いそうになったら、少し休んでみて下さい。鉛筆を握って机に向かっていないと不安だ、と感じると思いますが、少しでいいので休んで下さい。一旦立ち止まって周りを見渡すと、支えてくれている家族やたくさんの仲間、先生方の存在に気付けるはずです。学問ではないものの、これも立派な受験勉強なので、自分に自信を持って後悔のないよう全力で励んで下さい。応援しています。
 恵まれた環境で勉強ができたこと、鶴丸高校に合格できたこと、こうして巣立ちを書かせていただけていること、心から感謝します。毎日二つのお弁当を作り、送迎をしてくれた母。二人のときに優しく応援してくれた父。家の手伝いができない私を気遣ってくれた妹。勇気づけてくれた弟。本当にありがとう。
 決して楽な道ではなかったけれど、英進館という塾に出会い、最高の仲間たちや先生方と共に勉強できた時間は私の大切な宝物です。忙しい中、私の質問に丁寧に対応して下さり、時には相談にのって下さり、また入試前々日には電話で鹿児島校応援団の先生方から熱い励ましの言葉をかけて下さり、本当にありがとうございました。先生方が最後まで私のことを信じて下さっていたから合格できたのだと思います。英進館で過ごした六年間はとても幸せでした。これからも一つ一つ全力で取り組み、高等部でも頑張っていきます。

受験を通して

S・Hさん

長崎西高校、活水高校、純心女子高校 合格

 私は小学六年生の春に英進館に入塾しました。英進館での四年間は、今ではいい思い出になっています。中学受験を成功させることが出来なかった私にとって、この高校受験は特別なものでした。小六の頃、小テストで一点、オリジナルテストの理科と社会で全教場最下位をとった私が、長崎西高校に合格できたのは英進館の存在があったからだと思います。
 中学校に入学し今まで以上に勉強を頑張ろうと思っていましたが、なかなか行動に移せませんでした。中一・二の頃は気が向いた時だけ自習室に行くことはありましたが、継続的に行わずあまり効果のないものでした。中三になってからは受験生という意識を強くもち、勉強に励むようになりました。しかし、中一・二の内容を疎かにしていたため模試などで良い結果を残すことができず、志望校を決定するのに大変悩みました。中三の内容は学校の授業と英進館での授業で完璧にするようにし、家での学習を中一・二の内容にあてるようにしました。しかし、スマホを触ってしまう時間が多く思うように進みませんでした。そこで私は英進館にスマホを預け、入試までの四ヶ月を全て受験勉強にあてるようにしました。すると勉強時間が増え、成績も伸び始め、E判定からA判定まで上げることが出来ました。
 今思うような成績・判定がでていない人へ。絶対に志望校への合格を諦めず最後の最後まで英語の単語をより一個でも多く覚えるなど努力を続けてください。そうすれば必ず志望校に合格することができます。
 最後になりますが、社会の分かりやすい教材をつくってくださった担任のK先生、進路について最後まで考えてくださったN先生、質問に対して分かりやすく説明し対応してくださったM先生、楽しくて分かりやすい授業をしてくださったN先生、絶望的な英語を救ってくださったO先生、家族、ライバルにはすごく感謝しています。

己に勝った者こそが受験を制す。

S・Uさん

早稲田佐賀高校、西南学院高校、福岡大学附属大濠高校、筑紫丘高校 合格

 私は、中学受験と高校受験の二回、受験を経験しました。巣立ちの中のこの文章を見て下さっているみなさんには、私が受験するにあたって大切にしていた言葉、また、そのことに行き着くまでの話をしようと思います。
 私は当初、大分のトップ校を受ける予定でした。しかし、父が私の受験と同じ年に定年退職し、福岡で再就職するということを、受験直前の十一月に言ってきました。誰から見ても大ピンチです。なにせ、大分の高校と福岡の高校とでは、試験の傾向や内申点の配分など、多くのことが違うのですから。
 このことを大分校の担任の先生に相談したところ、福岡での第一志望校である筑紫丘高校を目指すことのできる春日本館とZOOMを繋ぎ、授業を受けるということを提案していただきました。
 すごく大変な作業を、私のためにしてくれたことは、とても嬉しいことで、今でも感謝してもしきれない気持ちです。
 さて、ここまで私の受験環境について長々と書きましたが、ここからは私の受験においての課題を書いていこうと思います。
 私の受験における課題は、「内申点の低さ」でした。受験する上での通知表の点数は、前期三十六点、後期四十点。はい、大大ピンチです。私は、周りの受験生よりも内申点が低い。よって、大予想模試での偏差値で言うと、六十二以上を取らないといけなくなりました。
 しかし、私は、どんな状況におかれようと決して焦ってはならないと思います。大予想模試でD判定を取ろうが、内申点がまわりよりも低かろうが、まずは冷静になることを心がけました。入試においてはいかに平常心を保つかが大事だと思います。「焦りを感じたとき、その人は既に己に負けている」のです。
 自分の今までの努力を信じると、自然と心は落ち着きます。焦るということは、己を信じられていない証拠です。ぜひ、みなさんには、平常心を保ち、受験に臨んでほしいです。
 頑張れ受験生!負けるな受験生!

自分に打ち勝つ

K・Iさん

宮崎大宮高校、宮崎日本大学高校 合格

 僕は、受験が終わった今、大きな達成感を抱いている。心の底から「やり切った」と言えるだろう。
 中学生の間、僕は卓球部に所属し、生徒会長も務めていた。勉強とこの二つの両立をすることは私にとって難しかった。しかし、どんなに苦しくても英進館は休まないようにしていた。
 僕がこの合格体験記の中でみなさんに伝えたいことは、自分の頑張り方次第で未来を変えられるということだ。これは、中学校三年間の中で僕が身をもって体感したことの一つだ。この言葉は、良い意味でも悪い意味でも捉えることができる。たくさん努力すれば、思い描く未来が必ず実現できるとは限らない。しかし、努力をしてきた経験は、これからどんな窮地に立たされても乗り越えていく力になると思う。僕は、精一杯学習に励むために、「昨日の自分に勝つ」ということを心がけていた。昨日の自分に勝つことが、受験を制することにつながると思う。だからこそ当たり前のように訪れる「今日」を大切にしてほしい。
 受験前日、私は不安と心配でいっぱいだったが、これまで自分が取り組んだ勉強の量を目の当たりにしたときに、不安や心配から自信へと変わった。過去の自分が応援してくれているような気がした。応援してくれているのは自分だけではない。家族や友達、それにいつも生徒思いで温かく見守ってくださる英進館の先生もいる。その周囲の方々の支えのおかげで僕は第一志望校に合格できた。
 みなさんの周囲にも自分のことを応援する人々がいるはずだ。その人々への感謝の気持ちを忘れずに、一歩一歩、堂々と突き進んでほしい。その道のりの中で、失敗を経験する時がある。しかし、失敗には全て意味があり、自分を強くしてくれる。だから、失敗を恐れずに自分を磨いてほしい。受験を控えている受験生の努力が実ることを願っています。
 最後に、僕を合格へ導いて下さった宮崎校の先生方、三年間本当にありがとうございました。高校では、自分の夢に向かって頑張ります。

積み重ね

S・Oさん

早稲田佐賀高校、熊本学園大学付属高校、熊本高校 合格

 努力が苦手で高校受験をするまで何かを本気で頑張るような経験さえなかった私がなぜ憧れの熊本高校へ合格できたのか、合格のために大切だと思うことを記そうと思う。あくまで自論だから参考程度にしてほしい。合格のために必要だと思うことは二つある。
 一つ目は行動力だ。「五時になったら勉強を始めようかな。いや六時からにしよう。いやもう少し。」当初の予定から三時間以上経ち明日の朝からになる。朝から頑張ろうとしている自分に感心すらする。こんな経験がある人は多くいるだろう。毎授業の宿題をしなかったり小テストの点数が悪かったりしたときの言い訳は無限にできる。しかし入試結果に言い訳をしても無駄だ。行動に移すことは基本中の基本だが、とても面倒で難しい。だからまずは自習室に行く、五分だけするなど勉強を始めるハードルを下げてみてほしい。このようなほんの少しの行動の積み重ねが入試結果を大きく左右するだろう。
 二つ目は英進館の仲間たちと自分自身を高め合うことだ。中学校一年生の冬、部活動の影響などで勉強に対する意識が低くなり偏差値が大幅に下がった結果、クラスが落ちてしまったことがある。そんなときに上のクラスで自分よりも頑張っている仲間たちを見ると、落ち込む暇もなくもっと頑張ろうと自分の勉強に対する意識を高めることができた。このような経験が英進館ではたくさんできる。友達であり、ライバルのような仲間たちと切磋琢磨することは自然と自分を頑張らせてくれると思う。
 このように、英進館は頑張ることが大嫌いな私でさえ頑張らせてくれるような場所だ。毎授業に集中して取り組み、小テストで満点を目指す。その小さな努力を積み重ねて実力テストに臨む。さらにそれを積み重ねることで模試へと繋がり、最後には入試へと繋がる。「千里の道も一歩から」という言葉がある通り大きなことをなすためには、小さなことの積み重ねが大切だ。小さなことでいいからまずは行動に移してほしい。そして同じ英進館の仲間たちと自分自身を高め合ってほしい。本番が近づくにつれてこのままで大丈夫なのかと不安になるかもしれないが、それは当たり前のこと。今までの努力を発揮できるか怖くなっている証拠だ。そんなときは不安になれるほど頑張れているのだと考えてみよう。少しは自分に自信がつくはずだ。英進館の先生方、そして自分の努力を信じて最後まで走り抜けてほしい。
 最後に熊本本館の先生方、私を導いてくださり本当にありがとうございました。先生方が教えてくださったことを生かしてこれからも頑張っていきます。

塾を信じて!!!!

T・Sさん

大分高校、大分上野丘高校、早稲田佐賀高校 合格

 僕は中一の春、英進館に入塾しました。入塾したきっかけは体験にいってみて、分かりやすい授業や質問しやすい環境を肌で感じ、この塾が僕に一番合っていると思ったからです。入塾した当時は分かりやすい授業に満足し、家庭学習を怠っていました。だから模試でも苦手な国語で思うように点数がとれていませんでした。そんな僕に突如転機が訪れました。それは自習室に行った時の事です。自習室では先輩や同級生の友達が一生懸命努力していました。僕はそのような周りの人達を見て今までの自分がとても恥ずかしくなりました。それから僕は勉強する時は自習室に行くようにしました。家でも勉強はできるのではないか?と思う人もいるかもしれません。しかし自習室は、周りの友達が一生懸命努力している姿を見て自分も努力しなければと自分を追い込み勉強から目を背けず真正面から向き合う事ができる場所だと僕は思っています。自習室に通い始めて模試の結果は少しずつ上がり始めました。でも模試の結果が上がり始めると満足してしまう事ってありませんか?僕は満足する事はありませんでした。なぜなら成績表を渡される時に先生方に、「ここもうちょっと復習した方が良いよ。」や「もうちょっと点数を上げると本番心強いよ。」などのアドバイスをいただき、現状に満足せず模試の結果を次へと活かすことができたからです。
 中三になってからは自習室に行く頻度も模試の回数も格段に増えました。中三になると周りの友達の様子も変わり、友達の中でも点数がうなぎ上りに伸びる人が何人もいました。僕は本当に焦りました。周りの友達は何十点も上がっているのに僕は十点位しか上がっておらず偏差値も二~三しか伸びていませんでした。僕のメンタルは壊れかけていきました。そんな時助けてくれたのは先生方でした。先生方はいつも僕達生徒を励ましてくれました。そのお陰で僕のメンタルも回復し、点数が上がってきた友達とも競い合おうという気持ちも持てるようになりました。そこから模試の結果は少しずつですが上がり続けるようになりました。そしてその良い調子のままで入試に挑むことができ、合格することができました。合格する事ができたのは勉強できる環境が英進館には整っていたからだと思います。
 生徒のやる気を引き出す事ができる先生、研鑽し高め合う事のできる友達。僕は本当に英進館に入塾をしてよかったと思っています。
 これを読んでいるみなさん!僕からのアドバイスは、
 ①自習室を積極的に利用する事
 ②先生方を信じる事
です。何か入試について困った事や悩んでいる事があったら先生方に頼ってください。必ず力になってくれます。受験生の皆さんは今から一年間きつい事があると思いますが、下を向かず前だけを向いて頑張ってください。その先に合格という輝かしい未来が待っています。

英進館での五年間

M・Nさん

明善高校、早稲田佐賀高校、筑陽学園高校 合格

 私が英進館に入ったのは小学五年生の冬期講習からだ。この時はSAクラスだった。(そのとき受けた授業がとても面白く、英進館に入って学び続けていこうと思ったので)その次の年から公立トップ校進学クラスに行った。小学六年生の時から公立高校、特にこの学区のトップ校である明善高校に行きたいという思いを持ち始めた。
 中学生になり、最初はSクラスだったがその次のテストでTSクラスに上がることができた。中学校に入ると小学校と比べ、様々なことが変わった。部活動などもあり、勉強できる時間が減っていってしまった。また、部活動などを言い訳に自分で「つかれているから勉強をしないでおこう」「どうせみんな勉強していない」と、自分自身を甘やかしてしまっていたのも勉強時間が減った大きな要因の一つだと思う。そのような生活が中学校三年生の夏休みまで続いてしまった。部活動が終わった後も「まだ大丈夫」と楽観的に考えてしまっている自分がいた。テストが五教科になると、思うように点数が取れなくなっていた。特に数学や理科の点数を取ることができていなかったと思う。
 そのようなことが続き年が明けた。年が明けてすぐ早稲田佐賀高校の入試があった。とても難しかったがなんとか合格することができた。
 次は筑陽学園高校の入試があった。自分が狙っていたクラスに合格することができなかった。とても悔しかった。そのことを引きずっていたが、英進館の先生から「本命は公立だから切り替えろ。」と言われた。そこから私立のことをあまり考えずに公立に向けての勉強に専念することができた。大予想模試の結果が思わしくないことが入試の約二週間前まで続いた。そのため、先生達が言っていた大予想模試の復習をいつも以上に行い、学校の教科書を使っての復習も行った。すると最後の二回の大予想模試では普段以上の点数を取ることができた。最終大予想模試の後に最後の激励会があった。各教科の先生からの言葉があり、今までの塾での出来事を振り返ることができ自信になった。
 そして迎えた受験当日。とても緊張していたが、先生がおみくじを持ってきてくれたり、友達と話したりすることでリラックスして入試に挑むことができた。今までの努力や家族・友達・先生達の支えなどのおかげで自分の第一志望校に合格することができた。ここまで自分を支えてくれた家族、この五年間指導して頂いたすべての先生方、一緒に勉強をしたり励ましたりしてくれた友達など自分の周りに居るすべての人に感謝したいと思う。
 本当にありがとうございました。

高校受験を通して

M・Yさん

広島市立基町高校、広島国際学院高校 合格

 私達は、コロナと共に中学三年間を過ごした。入学してすぐに休校になり、オンラインでの授業になったり、毎年ある行事が中止になったり、想像していた華やかな中学校生活とは異なるものとなった。
 私は小学校まで勉強が好きな方で苦労することもなかった。だが、「部活動も始まると勉強時間を自分で確保することが難しい」などと聞き、自分のやる気を出さないといけないと思い、この英進館に通い始めた。先生方の面白くて丁寧な授業のおかげで中一では特に困ることもなく、成績も良い状態を保てていた。しかし、中二になり、部活や遊びにばかり時間を使い、勉強は定期テスト週間しかしていなかった。そのため、英進館の模試の結果がどんどん下がってしまった。そのまま中三になり、大きなニュースを聞いた。それは、「広島県の公立高校の入試制度が大きく変わる」ということだ。私達の学年がその第一回目ということを知り、不安と焦りが募った。「このままじゃいけない」と思い、第一志望に向けて復習をたくさんした。苦手分野はノートにまとめたり、広島県は記述問題が多いという傾向を踏まえた勉強をしたりすることで、模試では回数を重ねるごとに成績が上がり、自分に自信をもてるようになった。
 今年度から自己表現が加わり、自分についてアピールしなければならなかった。英進館では、この自己表現対策に時間を費やしてくださったおかげで改めて、〝自分〟という存在と向き合えた。第一回目の学年だからこそ、思いきってありのままの自分を見せてやろうという気持ちで挑めたと思う。
 私から言えることは、「自信と感謝を大切にする」ということだ。入試当日は、緊張と不安でいっぱいだと思うが、それはみんな同じ。自信があるのは、それだけ頑張ってきた証拠。そして、今まで私を支えてくれた人達、ありがとう。心の中でそう思うことで悔いのない形で自分の力を出し切れると思う。これから受験するみなさん、悩んだり、つらくなったりすることもたくさんあると思うけど、それを乗り越えた先に良い結果が待っているので、自分を信じて頑張ってください。
 最後に、私は英進館鯉城広島校の先生方のおかげで第一志望校に合格することができました。本当にありがとうございました。

アイコン

保護者様による合格体験記

鼻歌をうたいながら

K・Tさんのお母様

福岡大学附属大濠中学、久留米大学附設中学、上智福岡中学、西南学院中学、筑紫女学園中学 合格

 娘は不安になった時に『巣立ち』を読み自分を奮い立たせていました。同じく悩める母親の私も保護者の方の体験記を参考にさせて頂きました。お世話になった『巣立ち』に執筆の機会を頂いたことを大変光栄に思います。ご参考になるかは分かりませんが、私の「過ち」を自戒の意を込めて書き記しておきます。
 中学受験ドラマに、算数の難題を鼻歌まじりで解く少女が登場していました。私はこれを天才の余裕・特権だと思い込んでしまったようです。娘は天才ではないのだから努力しなければならないと思い、苦手な算数だけはきちんと向き合うことを強いてしまいました。
 「算数楽しい!先生面白い!塾大好き!」と言うけれど、なかなか成績が伸びない。得意な教科はすぐに取りかかるのに、算数となるとソファから動かない。時折部屋を覗くと問題を見つめながら大粒の涙を流していることも。頑張っている姿を見れば見るほど、志望校に合格させてあげたいという気持ちが大きくなり、算数をどうにかしなければと母親の焦りは日を追うごとに増していきました。クラス変更をした方が良いのではないかと何度も二人で悩み、先生にも相談させて頂きました。
 このままTZで頑張ると決めた十一月。算数の偏差値は三十三です。このどんよりした空気を変えようと二人して謎のテンションで「音楽をかけてみる?」「やることを減らしてみよう!」とルールを決めました。正解した問題は赤、不正解ではあるが解説を読んで理解した問題は緑、解説を読んでも分からない問題は青。解き直すのは赤と緑を優先して、青は後回し。音楽はなるべく前半だけにして、思考の妨げにならないように洋楽か英語Ver.を。
 それからです。「じゃ、算数してくるね~♪」とルンルンで部屋へ行き、鼻歌まで聞こえてくるではありませんか。朝の二十分間の勉強もまさかの算数をやり始めました。時として鼻歌が止み、泣いているのではないかと覗きにいくと、静まりかえった部屋で黙々と問題を解いている娘の姿がありました。①青→緑→赤とが重なっている問題もいくつかありました。
 なぜ気づかなかったのだろう。苦手なものにきちんと向き合うのは苦行でしかなかったであろうと、無理を強いたことを猛省しました。苦手なものほど、楽しくできる環境を。その後、偏差値爆上がりなどという奇跡は起こりません。しかし、全教科に楽しんで取り組めるようになったので、ヘトヘトになりながらも塾でも家でも充実しているように見えました。それが結果に繋がったのだと思います。受験を終えた今もこの勉強スタイルは毎日続いています。鼻歌をうたいながら次は数学を。
 楽しく頑張れ!
 最後に。知識を蓄えて夢を掴みとろうとしている子ども達が大勢いること、それをサポートするために全力で楽しい授業をして下さる先生方がいること、娘が挑戦しなければ見ることのなかったであろう熱い世界を知ることができました。ありがとうございました。

出逢い

K・Kさんのお母様

熊本大学教育学部附属中学 合格

 令和五年一月十五日、合格発表当日。
 こんなにも郵便配達のバイク音が気になる日は初めてでした。封書を受け取り、まず親子で深呼吸…。意を決して封を開けると
「うおぉぉーーー!!…」
 その瞬間の息子の雄叫びと号泣に、今までどれだけの努力と不安と闘ってきたのか改めて感じた瞬間でした。「本当だよね?間違いじゃないよね?」と何度も確認しながら親子で泣き笑い。息子の顔をクシャクシャにしておもいっきり褒めました。
 息子が「塾に行きたい!」と言って英進館に通い始めたのは四年生の時でしたが、その時は、まさか中学受験をするとは思っていませんでした。「六年生からスイッチいれるから!」の宣言通り、六年生からは自習室に行くことが多くなりました。小学生から夜遅くまで勉強することに葛藤もありましたが、いつ行っても一緒に頑張る友達がいて、先生方に質問をさせて頂ける環境に本当に救われました。
 志望校を決める時までの判定では全くの圏外。それでも「熊大附属を絶対受験する!」と譲らなかった息子に経験と思って受験を決めましたが、ここでも合格圏内の学校がいいのかもしれない…と、息子が傷つく姿を見たくない気持ちとの葛藤でもありました。
 たくさんの葛藤もありましたが、自分のことのように一緒に一喜一憂してくれたH先生、帯山校の先生方、そして目標に向かって一緒に頑張る友達に出逢えたことで掴んだ合格でした。
 これから先、夢が変わったとしてもたくさんの中から選べる位置にいたほうがいいよね!とよく話します。たくさんの出逢いの中で成長し、彩り豊かな毎日を過ごしてくれることを願っています。

長い長い受験生活にピリオド

N・Tさんのお母様

早稲田佐賀高校、西南学院高校、修猷館高校 合格

 「やっとこの日が来た!」受験当日の朝、娘は、満面の笑みを浮かべながら家の中を小走り気味で起きてきました。第一志望の受験日一ヵ月程前から娘は、この日が来るのを、いまかいまかと待ち続けていました。娘は幼少期の頃、喘息持ちのため入退院や通院を繰り返していたので、受験当日を清々しい表情で迎えられたことがただただ嬉しかったです。
 今、娘の中学生活を振り返ると、色々なシーンが思い出されます。この三年間は、壁にぶつかっては、乗り越えて、の連続でした。一年生、二年生の時は部活帰り、ヘトヘトになりながら、迎えの車に乗り込み、五分でお弁当を食べて、そのまま塾に行きました。体力と集中力の維持に苦労しました。三年生になると受験生として動き出した一方で、ソフトテニス部の部長として中総体に向け、部員全員をまとめなければいけないプレッシャーと、体育祭の団長の重圧を抱えていたので、この時期は、勉強になかなか身が入らないことがありました。
 娘のもがき続けている姿を側で見ていて、私は母親として何ができるのだろうか、そんな思いを巡らせながらも、結局たどり着いた所はいつも同じでした。私は、ひたすら娘の気持ちに寄り添い、その時々の感情を一緒に分かち合う、ただそれだけでした。娘が疲れている時は、特に言葉を発さず見守り、色々な悩みや重圧を抱えすぎてキャパシティオーバーになると夜、涙がポロポロ出る時もあり、そんな時は、夜中に二人で一時間散歩に出かけながら、とことん話を聞いてあげていました。部活で疲れている娘の表情を見ても、いつも塾の先生は優しく見守って下さいました。
 夏が過ぎると、部活も引退したこともあり、すっかり受験モードに切り替わり、気持ちのコントロールもできるようになり勉強時間が圧倒的に増え、集中力も一気に高まりました。娘の負けず嫌いな性格と辛抱強さが実を結び、成績も安定していきました。入塾した頃、中学受験を経験した子達との学力の差を大きく感じていた娘でしたが、その日の授業で分からなかったことは、その日のうちに先生や友達に聞き解決するなど工夫を重ねているといつしか少しずつその差は縮まっていきました。これまで身近できめ細かいご指導と声かけをして下さった原校の先生方や、共に切磋琢磨し、娘を奮い立たせてくれた友達のおかげもあり、全受験校に合格することができました。
 ウェブサイトにて合格を確認した時は、娘と抱き合って喜びましたが、掲示板で合否確認と違い少しあっけなく感じました。しかしこれまで三年間支えて下さった担任のH先生から「おめでとう!本当によく頑張ったね。」と言って頂いた帰り道、娘は「合格した実感が湧いてきた。」と一言。この瞬間、私はH先生の存在の大きさに感動し、感謝致します。

努力の末に

K・Nさんのお母様

広島学院中学、修道中学、AICJ中学、広島なぎさ中学、広島城北中学 合格

 「ぼくは広島学院に行く」
 決して口数の多くないわが子が志望校を宣言したとき、彼の中で何かが動いていたのだと感慨深く思いました。
 思い返してみると、決して順調とは言えない道程を良く歩んできたと思います。
 中学受験を視野に入れて、小一から他塾に通っていましたが成績は伸び悩んでおり、小四の冬に転塾を検討しました。新たな環境で難しい授業について行けるかを懸念していましたが、「お子さんをお任せください」と仰ってくださる先生に頼もしさを覚え、お世話になることを決意しました。
 入塾後数ヶ月、成績が徐々に上がり、塾はどうかと尋ねると「楽しいよ」と言葉少なにも手応えを感じている様子が伺えたことでひと安心したものです。
 しかし、共働きのわが家では学習内容を十分に見てやれない日々が続き、遂にクラスを下げてしまった時はさすがに元気がなかったように思います。彼は特に応用問題を苦手としており、自分で打開策を見出せず苦しんでいたのではないかと思うと、親として寄り添い会話をする時間をしっかりと持てていなかったことを深く悔やみました。塾に依存するのではなく、塾とともに子を成長させる姿勢が親には必要なのだと感じた時でした。
 それからは家族全員で受験に向かうことを決め、私はノートやプリントに目を通して学習方法の改善点の助言や、理解度の低い問題を洗い出して塾の先生に質問するよう促すなど、塾をしっかりと活用させることに努めました。この年頃ともなれば母親の小言交じりのアドバイスなど耳障りだったに違いありませんが、彼は時に上手に聞き流しながら自分なりの真っ直ぐなやり方でコツコツと課題をやり込んでいきました。その姿に、この子にはちゃんと熱いものがあるのだなと感心したものです。
 志望校受験日の約二週間前、恐れていた感染症の波がわが家に襲いかかり、その時はさすがに様々な悪夢がよぎりました。しかし程なく「大丈夫」という前向きな気持ちが湧いてきて、彼の絶え間ない努力のおかげだと思いました。自宅でオンライン授業に楽しそうに参加する様子を垣間見て、この塾にわが子をお願いして本当に良かったと切に感じました。
 いろいろなことを乗り越え、新たに始まる中学校生活。わが子にとって、努力を続けることの大切さを体得できた中学受験だったと思います。そして親も、目標に真っ直ぐに向かうことの素晴らしさを目の当たりにし、心の洗われる想いです。親子で良い経験を積ませてもらうことができました。
 最後まで子と保護者に親身に寄り添ってくださり、いつでも全力でご指導に当たってくださった英進館鯉城学院の先生方に心より感謝申し上げます。

受験を終えて

K・Hさんのお父様

早稲田佐賀高校、東筑紫学園高校、九州国際大学付属高校、小倉高校 合格

 三月十五日の午前九時。福岡県立高校の合格発表を小さなスマホ画面で見つめる息子。「やった!あった!」と小さな声で呟き、ガッツポーズ。反抗期に入って以来、久しく触れていなかった息子と両手でハイタッチを交わす。長かった受験生活が志望校合格という最高の結果を以って終了した瞬間でした。
 振り返ると小六から英進館守恒校に通い始め、新型コロナウィルスの影響で当たり前の中学生活をスタートすることができず不自由な環境の中、塾においても希望したTSクラスではなくSAクラスからのスタートでした。
 我が家にとって初めての中学校への進学。私自身のことは棚に上げ、やはり最初が肝心。より良い位置からスタートを切りたいといった理想を押し付けてしまい、それに対する息子の反応から非常に後悔したことを今でも鮮明に覚えています。改めてごめんなさい。
 その後はどのような結果になろうとも息子を信じて見守るスタンスに切り替えました。
 勉強は学校と塾、家では休憩とメリハリのついた生活が出来るよう心掛け、結果として、学校の成績は上位をキープ、塾でもTSクラスに上がり、中三夏にTZ判定が出るまで向上、志望校にも合格することができました。一番は息子がコツコツと積み上げた努力の成果だとは思いますが、それを支え続けてくださった担任のY先生をはじめ、守恒校の先生方には感謝の気持ちでいっぱいです。
 英進館が持つノウハウやデータの力のみならず、それをさらに向上させようと工夫される姿や生徒の成長を本気で願ってくれているんだなと感じるシーンを幾度となく見させていただき、英進館守恒校に通わせて本当に良かったと思います。
 ありがとうございました。

ブレない気持ち~夢への第一歩~

N・Fさんのお母様

東筑高校、青雲高校、九州産業大学付属九州高校、自由ヶ丘高校、近畿大学附属福岡高校 合格

 「私を英進館に通わせてくれてありがとうございます。」これは、何十回も目にした娘からの感謝の手紙に書いてある文言です。
 飯塚校が開校した九年前に娘は入塾しました。毎回楽しそうに通う姿を今でも鮮明に覚えています。英進館が大好きで小学二年の文集では、将来の夢を「英進館の先生」と書いたほどです。そして月日は流れ、楽しい勉強は時として苦しくもなり始めました。思うように成績が伸びず悩む日々に、親子して涙したのを覚えています。そんな時いつも支えて下さったのが先生方です。娘は物静かで自分から話す事が苦手なタイプですが、先生方はゆっくり時間をかけて向き合ってくれました。発言も少なくリアクションも薄い中、表情の変化を感じ取り進路指導をしてくれた事は感謝しかありません。私達親子はそんな先生方に全幅の信頼を寄せて高校受験に挑みました。
 受験に際して私が心掛けたのは、小言を言わず生活面をサポートする事でした。しかし励ましの言葉よりも小言が多くなり、受験の難しさを実感しました。
 一月の私立受験から三月の公立受験まではとても長く、私は不安から公立受験を諦めかけました。それでも娘の気持ちは一切ブレず、地道にコツコツと勉強に励んでいました。それは中学の時に先生に言われた「公立受験までの長い期間を乗り越えるときっと大学入試で役立つよ。」という言葉があったからだそうです。その言葉を胸に毎日楽しそうに通い、天神での合宿後や入試直後も休まず通った時は本当に驚きました。「英進館に行けない日は寂しい。」とまで言い切る環境を作って下さった先生方に心からお礼申し上げます。
 お陰様で娘は志望校に合格し新たな一歩を踏み出しました。その先には「英進館の講師になる!」という夢があります。その夢を叶える為に、高校でも勉強に励み大学合格を目指して頑張ってほしいです。「初志貫徹」この言葉の通りになりますように…。

中学受験に挑戦して

M・Iさんのお母様

久留米大学附設中学、福岡大学附属大濠中学、向陽中学、大分大学教育学部附属中学、岩田中学 合格

 娘が本格的に英進館に通い始めたのは小三の秋からです。四年の頃はあまり学習習慣がついておらずスケジュール管理するのも試行錯誤でした。五年になると算数が楽しく、社会の暗記が苦手と得手不得手がはっきりしてきました。一度も特別特訓や季節講習も行きたくないと言った事はなかったです。そうは言ってもまだ遊びたい盛りの小学生なので放課後遊びたい気持ちを振り切って塾に通っていました。塾に行けば切磋琢磨する友達がいることから、直ぐに気持ちを切り替えての週三回の通塾はとても楽しそうでした。帰宅するなり、「塾の授業は楽しい。」と目が輝いていました。
 六年の最初の組分けテストでクラスダウンしてかなりショックで泣いて悔しがりました。負けず嫌いな娘はまた勉強に励みました。
 天王山である六年の夏期講習での重要性は本人も先生からギアを上げていく様に熱い指導を受け、本当に毎日大変でしたが良い仲間と競い合いやり切る事が出来ました。
 師走に入りいよいよカウントダウンが始まります。初戦の十日前に胃腸炎になり冬期講習の数日とお正月特訓はお休みすることになりました。もともと「なんとかなる。」と楽天的な性格の娘は気持ちを切り替えて、お正月は自宅で苦手な社会に取り組みました。
 附設受験の前日、大分駅の改札口に入って行く娘の背中を見送りながら初めて挑んだ中学受験のサポートは終わったと少しホッとしました。その後合格発表の時にパソコンに満開の桜が咲いた時は喜びでいっぱいで涙があふれました。この三年間の苦労が報われた瞬間でもありました。
 担任のT先生が夏期講習の後、賞状を一人一人に下さり、受験の前日励ましのお手紙を頂きやる気になる様にかなり繊細にメンタル的にサポートして下さり十二歳にとってそれがどんなに心強かった事か感謝しかありません。
 英進館の先生の指導力とカリキュラムには素晴らしいものがあります。努力は裏切らないという貴重な体験を身を持ってさせて頂きました。親も一緒に成長する事が出来ました。
 周りのサポートを受けながら親子二人三脚で頑張ってきて全五校の合格を頂いた事は、娘の誇りになり自信につながったと思います。
 これからも健康に気を付けて英進館で培った根性で将来を切り拓いていって欲しいと思います。
 大分校の先生方、温かくご指導頂きお世話になりました。本当にありがとうございました。

乗り越えた先に

Y・Mさんのお母様

ラ・サール高校、青雲高校、大分上野丘高校、大分東明高校 合格

 過ぎてみれば、様々な気持ちの入り交った本当に密度の濃い時間だと感じました。
 息子が受験生となった年は、もう分別のつく年齢なのだから大半は息子の頑張りがものを言うのではないかと思っていました。しかし、その親の考えの甘さを痛感しました。毎日を精一杯頑張る息子の体調管理や予定を把握する必要性など、受験勉強に集中する為の親によるサポートや環境づくりは、日々の生活の中では不可欠なものでした。
 息子は元来、物静かで多少の事には動じない性格ゆえ、芳しくなかった模試、疲れて向かった授業や講習、塾での様々な様子を担任のN先生にお尋ねする事も多くありました。息子の現状を把握し、鼓舞しつつも、無理をしないよう支えてくれている先生方の思いを心強く感じる事も度々でした。「受験の動機づけは英進館が担当します。ご家庭ではお子様の健康や日常管理をお願いします。」とアドバイス頂いた際には、色々な事に一喜一憂する必要は無いのだと安心して息子のサポートに注力できました。その様な先生方に息子も信頼を寄せ、苦手意識のあった科目はいつしか得意科目になるまでの成長をみせました。
 まとまった時間のとりにくい時期ではありましたが、息子とは、できるだけ話をする様心掛けました。例え、たわいの無い事であっても、話す様子や会話の積み重ねから息子の気持ちや考え等、多くを感じとる事ができたからです。何のために受験するか、受験校に対する思い等、未来へ通じる事については、少しずつでも沢山話を積み重ねました。息子にとっては余計な事と感じたかもしれません。それでも、これからつながっていく未来に、息子と同じ目線で進んでいきたいという主人と私の気持ちに息子も真剣に応えてくれました。結果、思いを共有して完走できた事は、この受験で得たかけがえの無い喜びのひとつです。
 高い壁を超え進む努力、支えてくれる方々、切磋琢磨できる友人や環境への感謝、揺るぎない意志で自分を信じぬく事等、合格をつかむまでのプロセスで、息子は唯一無二の経験を得ました。この自信が将来の道を拓く力になると信じています。
 最後になりましたが、いつも快くご対応下さった担任のN先生はじめ、御世話になった英進館大分校の皆様方、心より感謝いたします。皆様方の支え無くして、この経験はあり得ませんでした。あたたかく見守り導いて頂き、本当にありがとうございました。

最小限なる家族の干渉

S・Sさんのお母様

西南学院中学、福岡教育大学附属福岡中学、上智福岡中学、福岡雙葉中学 合格

 中学受験を目指す子どものために親ができることは、「そのための環境を整える」ことにつきると思います。
 受験のなかでも特に中学受験は、小学校の先生や友だちから情報を得ることが難しいため、圧倒的なデータ数、分析力のある英進館にお世話になることで、さまざまな知識を授けていただき、安心することができました。
 娘本人にとっても、同じ目標に向かって切磋琢磨できる友だちに恵まれたことで、辛くしんどい受験勉強も最後まで乗り切ることができたと思います。
 そして、家族はそれを支えるサポート役に徹することです。勉強の仕方や内容に口を出すと、どうしても感情的になってしまい、本人のやる気を削ぐ結果となります。わが家の場合は、車での送迎、弁当作りを私が担当。整理整頓の苦手な娘に変わって、科目ごと、単元ごと、テストの種類別にプリントを整理し、復習につき合うことを主人が担当。そして、一人では飽きて後回しにしがちな社会の暗記は、小三の妹も交えて家族四人でゲーム感覚で覚えるといったことを実践していました。英進館の先生方を信頼し、学習への取り組み方の指導は完全にお任せして、家庭では過度な干渉を控えることを心がけました。
 エンジンがかかるのがかなり遅く、目つき、姿勢が変わる夏まではヒヤヒヤさせられたというのが本音です。しかし、英進館で四年生からコツコツと積み上げてきた学習習慣、信頼のおける先生方、友だちとの出会いという環境のおかげで、第一志望校の合格をいただくことができました。
 子どもの受験は、自分の受験以上に気を揉む一大イベントです。口や手を出したくなるものですが、そこをグッとこらえることで、子どもの自主性が育ち、一回りも二回りも大きく成長することができる大切な機会になると感じました。親ばなれ子ばなれの第一歩です。笑

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