合格者の声

Congratulations!!
この春、英進館に
多くの合格の声が届きました。
合格体験記『巣立ち』の中から
一部を抜粋してご紹介します。



合格体験記 中学受験
諦めなかった中学受験
A・Kさん
ラ・サール中学、青雲中学、弘学館中学、鹿児島大学教育学部附属中学、鹿児島玉龍中学、志學館中等部、鹿児島修学館中学 合格
僕が英進館に通い始めたのは、小学三年生の頃からでした。初めての英進館の授業は、説明が分かりやすく、盛り上がりもあって楽しく、すぐに通塾することを決めましたが、その時は受験のことなどはよく分かっておらず、ただ通って勉強するだけだと思っていました。
そのため当時は、普通に英進館に通って楽しく授業を受けて、帰ったら宿題をするという日々をただ繰り返しているだけでした。
小学四年生になった頃、英進館の各科目の先生が受験についてや中学校の話をしてくださるなかで、地元の鹿児島にあるラ・サール中学校を知りました。それから、僕は、ラ・サール中学校に行きたいと考えるようになりました。しかし、その時の僕は、受験の厳しさや苦しさなど知らず、授業でやって分からない所もほったらかしにすることもよくあり、そこまで悪くなかった成績がみるみる下がっていきました。小学五年生になってから本気で勉強をしてもその現状は変わらないまま、あっという間に五年生は終わりました。
小学六年生になり、本気でラ・サール中学校に行くために、楽しくてやりがいのあった水泳を休み、すべてを勉強の時間にあてました。それでもすぐに成績が良くなることはなく、お父さんと一緒に「受験はもうやめよう」という話もして、人生で初めての挫折、後悔を経験しました。ずっとD判定やE判定を取り続けていたラ・サール模試、受験前の結果もD判定でしたが、成績返却のときにラ・サール出身でもある担任のK先生に「僕もラ・サールの模試はずっとE判定だったよ。だけどそれでもあきらめなかった。君よりも結果の悪かった僕が合格できたのだから、諦めずに頑張れば、君もきっと行けるよ。」という言葉をもらい、ラ・サール入試までの二ヵ月を有効に使うように頑張りました。K先生の言葉が僕に自信をくれました。他にも、今まで競い合ってきた仲間、僕のために毎日弁当を作り送り迎えしてくれたお父さんとお母さんのことが頭に浮かび、「ここまできたのだから、ここで諦めるわけにはいかない。」という気持ちが芽生え、さらなるやる気につながりました。
そして、一月五日の修学館中学校の入試から僕の受験がスタートしました。ラ・サール中学校の入試までの六つの中学校にすべて合格していくことでラ・サール中学校への自信がついていきました。しかし、ラ・サール中学校の入試本番はいつも以上に緊張していました。まわりが頭のいい人ばかりのように見えて僕は合格できる自信がなくなってきました。実際の入試問題もいつもより難しく感じて、算数のときに少しあせってしまい、得意な社会も力が出しきれませんでした。しかし、最後の1分1秒まで合格したいという気持ちを強く持って臨みました。ラ・サール中学校の入試が終わって自己採点をした後、今までの模試と同じような手ごたえでひどく落ち込みましたが、結果は合格。僕はこれを奇跡だと思いました。
合格することができたのは、鹿児島校の先生方、最後まで応援してくれた家族、今まで競い合った仲間たちのおかげと、何より、最後まで合格を諦めずに頑張りきれたからだと思います。この中学受験で学んだ諦めない気持ちをこれからの中学校生活にも生かしていこうと思います。
最後に、これから受験をするみなさん。これからは厳しく、苦しいことがたくさんあると思います。ですが、絶対に諦めないでください。それを乗り越えれば必ず成果は現れます。
私の合格体験記
I・Yさん
福岡教育大学附属久留米中学、久留米信愛中学 合格
私が英進館に通い始めたのは、三年生の冬でした。最初は、オリジナルテストですごくいい点数で、出だしにしては結構よかったと思います。けど、そんな思いはつかのまでした。
英進館で話す友達もおらず、もちろん勉強で競争する相手もいなくて、正直、勉強が嫌いでもなく、楽しくないからしたくないと思っていました。ましてや、受験をする中学校のレベルやどんな中学校なのかも知らずにただ英進館に通っているだけの日々が約一年も過ぎました。成績は落ち続けて親から毎日のように怒られ、疲れ果てていた私を今まで支え、導いてくれたのは、英進館の先生方でした。算数のO先生は私をはげましてくれて、国語のO先生は私を少しでもクラスの仲間に入れるよう、たくさん面白いことを言ってくれました。おかげで、受験までにたくさんの仲間と一緒に勉強することができました。英進館の先生方、今まで私と共に戦ってくれたJR久留米駅前校のみんなには本当に感謝しています。これからも、新しい仲間たちと共に次の目標の「高校受験」に向かって中学受験で得た知識を活かし、頑張っていきたいと思います。
受験生の皆さん、最後まであきらめず、仲間と悔いのない中学受験にして下さい。ここで学んだことは絶対、役に立ちます。あらためて、私を支えてくださった方々、本当にありがとうございました。
あの日の一点をかみしめて
O・Sさん
西大和学園中学、青雲中学、早稲田佐賀中学、灘中学、久留米大学附設中学、開成中学 合格
僕は四年生の時に英進館に入塾しました。当初はまだ中学受験がどのようなものかピンときておらず、五年生になりライバルと切磋琢磨するようになってからは高得点を取ることが目標になりました。しかし、テストで思うような点数が取れなくても次のテストで頑張ればいいやという軽い気持ちだったため、一回一回のテストや一点の重みを意識できていませんでした。
しかし、そんな僕に転機が訪れました。六年生で挑戦した算数オリンピックのトライアルです。一点差で決勝への進出を逃してしまったのです。僕はあまりの悔しさにあのときこうすれば、もっとああすれば、とたくさんの後悔をしました。その時、一点の重みを痛感し、中学受験の本当の厳しさと怖さを身をもって感じました。この日から、やり直しがきかない一回きりの勝負である入試本番で一点でも多くもぎ取れるようにするため、学習方法を見直しました。国語では模範解答を読み込み、よりよい記述の表現を身につけ、知らない言葉はその都度辞書を引くこと、算数では先生の解説をよく聞き、複雑な問題の整理の仕方を習得することを頑張りました。また、社会では新しく覚える言葉は最初から漢字で書けるようノートに練習し、理科では志望校の過去問の中で解けなかった問題は全て質問をするようにしました。
そして迎えた入試本番、灘中学校と開成中学校の入試は特に緊張しましたが、国語では最後の一秒まで記述を埋め続けること、算数ではケアレスミスを防ぐため途中式も丁寧に書くことを意識しました。その結果、受験校全てで合格を勝ち取ることができました。くじけそうになったこともたくさんありましたが、最後まで走り続けることができたのは、英進館の先生方、塾の仲間達の支えがあったからこそだと思います。本当に楽しい三年間をありがとうございました。
周りに目を向ける
O・Mさん
福岡教育大学附属久留米中学、西南学院中学、筑紫女学園中学、東福岡自彊館中学、筑陽学園中学 合格
みなさんは、勉強が嫌いになったり受験することをやめようと思ったりしたことはありますか。塾の勉強内容は難しくなるし、小学校の大半のクラスの友達は、受験をしなくても中学校に行けるのだから当たり前だと思います。自分から望んで塾に入った人でもそう思うことがあるのに、私はなんとなく塾に通うことになったので数えきれないくらいありました。しかし、その時に家族や友達など周りの人が応援してくれました。
私は昔から算数が苦手で週末のテストでは四割ぐらいしか取れない時期もあり、それを見かねた母が先生に相談した所、パスカルを勧められ受講することになりました。ただでさえ普段の塾でお金を払ってもらっているのに、さらにパスカルにも行かせてくれた上に、「塾の負担が大きくなるけど体は大丈夫?」と心配までしてくれました。私はこのときに自分は周りの人に支えられていることに気付きました。送り迎えをしてくれたり、受験のための学費を払ってくれたりした両親、授業の隙間時間に分からない問題の解説をしてくれた先生達、落ち込んでいたら励ましてくれた友達などに対して感謝の気持ちが湧き出てきました。私はこれまで自分だけが頑張っていると思っていました。しかし両親や塾の先生、一緒に受験をする友達も精一杯頑張っていることに気付き、頑張ることができるようになりました。
この体験から私は頑張っている自分をほめることも、自分を支えてくれている人達への感謝の気持ちも大切にしていきながら中学校で勉強と友達作りを頑張っていきたいです。
中学受験をして
K・Wさん
大分中学、岩田中学、向陽中学 合格
僕が英進館に通い始めたのは、小学二年生の冬の時です。最初の頃は宿題をするだけで勉強は大丈夫と思っており、授業で習った所も復習をあまりしていませんでした。
そんな自分が中学受験をしようと思ったきっかけは二つあります。
一つ目は、兄と姉の存在です。兄と姉は英進館で夜遅くまで勉強をしており、家でも長く勉強していました。そんな兄や姉が中学受験をして合格した時は、飛び回るくらい本当によろこんでいました。それを見て僕も、「兄や姉を見習って努力をして、合格の喜びをあじわいたい」と、思ったからです。
二つ目は、友達からかけてもらった言葉です。友達と勉強の話をしている時に、「一緒に二人で合格しような!」と約束して、僕もこれまで以上にがんばろうと思い、英進館で毎日遅くまで勉強をしました。無事に合格することができた時の喜びはとてもうれしくて、これまであきらめなくてよかったなと、思いました。
僕はたくさんの人に励ましてもらったり、応援してもらったりしました。その言葉で最後まであきらめずにがんばることができたと思います。先生方や友人、そして家族に感謝します。これまでありがとうございました。
中学受験の大冒険
K・Rさん
向陽中学、大分大学教育学部附属中学、大分中学、岩田中学 合格
中学受験に挑戦したことは、ぼくの人生における壮大な冒険の始まりでした。志望校に合格するという大きな目標を達成した瞬間、自分自身の成長と自信が一気に増したのを感じました。
小学二年生の時に英進館に入塾しました。入塾の理由は、姉が英進館で高校受験に向けてがんばっている姿を見て、「ぼくもこんな風になりたい!」と思ったからです。当初は受験のことなど全く考えていませんでしたが、小学五年生の三学期に入り、受験の火花が心の中でパチパチと弾け始めました。入塾当初、算数のテストで良い点数を取るのが日常茶飯事でしたが、中学受験を意識し始めると、テストで良い点数を取るのが次第に難しくなりました。六年生になると、オリジナルテストや国私立中オープン模試などがスタートし、少しでも油断するとテストの点数にすぐ反映されるようになりました。特に、ぼくの成績が低迷した原因は国語でした。読書の習慣がなかったため、文章問題の読解が大の苦手だったのです。この苦手意識を克服するために、先生に相談し、補習授業を受けることにしました。そのおかげで少しずつ成績が上向きになりました。また、英進館の合宿に参加したことで、自分よりも遥かに優れた人たちがたくさんいることに気づかされました。彼らの存在はぼくにとって大きな目標となり、モチベーションを高める原動力となりました。しかし、受験日の直前の冬期講習で体調を崩してしまい、「やばい、やらかした!」と不安が募りました。この大事なタイミングで冬期講習に参加できず、受験直前のトラブルで不安を抱えながらも、最後まで諦めずに挑み続けました。そして、見事に志望校に合格することができたのです。ぼくから受験を控える皆さんに伝えたいアドバイスが三つあります。一つ目は、体調管理に気を付けることです。どんなに努力しても、最後に体調を崩してしまうと全てが水の泡になってしまいます。二つ目は、高い目標を持つことです。高い目標は勉強のモチベーションを高め、達成に向けた努力を引き出してくれます。三つ目は、苦手意識を克服することです。ぼくは国語に対して苦手意識があり、その科目の勉強を避けていました。その結果、対策が不十分で成績が低迷し、全体の成績にも悪影響を与えました。これから受験を迎える皆さんは、早い段階から苦手意識を克服するよう心がけてください。
最後に、ぼくが合格できたのは先生の熱心な指導、支えてくれた仲間、そしていつも塾に送り迎えをしてくれた両親のおかげです。本当にありがとうございます。
最下位からの大逆転
T・Sさん
福岡教育大学附属久留米中学、筑陽学園中学、東福岡自彊館中学、筑紫女学園中学、熊本マリスト学園中学、久留米信愛中学 合格
私は環境を変えたいと思い、五年生の四月に英進館に通い始めました。教室に入った瞬間そこは異世界。まさに戦場。かけ算すら分からない私は何とかSクラスに上がったものの十月のマンスリーテストで八八七人中八八七位をとりました。すごくないですか?全教場で最下位をとったんです。まさに悪夢。そして、母は青ざめ、父は「辞めろ」と言い、私は金の無駄とか言われたのに個別指導をやりたいと言い出しました。
六年生になり、個別を始め算数の基礎を行い、成績は少しずつ上がり、母と衝突しながらもオリジナルテストでクラスアップし夏の天王山がやってきました。とにかく小テストでクラス一位を目指し、午前十時までには英進館に行き、授業が始まる前の時間を使って小テストの勉強をしました。クラスで一位は無理でしたが二位を取ることができました。
夏が終わり、オリジナルテストに加えて模試が増え、ちょっとずつ成績が下がってきました。それなのに、勉強を全然していなかったのでAクラスに落ちてしまいました。その後、クラスアップすることなく、冬期講習を迎えてしまいました。
このままではいけないと思い、冬期講習では、朝一番に英進館に行き、個別指導を受けた後に自習室を活用して集団授業に臨むというサイクルを無心で続けていきました。今、泣くほどやらないと合格発表の日に泣くことになると言われたので、泣くほど勉強しました。個別指導もできるだけ活用しました。すると一年前に最下位だった算数が少しずつ理解できるようになりました。私は社会が苦手だったのですが最初の受験校は社会以外の科目で補いなんとか合格できました。本命校まで残り二週間、最後まで時間を無駄にしないようにK先生のアドバイス通りに最後の追い込みを行いました。
本命校の受験日当日、受験を終えて、さわやかな達成感が私の中を駆け抜けました。一片の悔いのない出来でした。結果は見事合格!
今回、私が合格を勝ち取ることができたのは私だけの力ではありません。最下位を取ったときには、本音では中学受験を辞めたかったです。けれども頑張れるのは自分しかいないのです。折れかけた私の心を支えてくれたのは英進館の先生、切磋琢磨してくれた友人、最後まで合格を信じてくれた両親。本当にありがとうございました。
これから受験する受験をするみなさん、私が一番大事だと思ったことは「最後まで諦めない」です。最下位でも、諦めなければ第一志望校に合格できます。頑張って下さい!
最後まであきらめず
N・Hさん
久留米大学附設中学、早稲田佐賀中学、弘学館中学、佐賀大学教育学部附属中学、成穎中学 合格
僕は、小学一年生の頃から英進館に通い始めました。当時は、中学受験のことなど考えていませんでした。塾の授業を受け、宿題をするだけで、成績も良かったので、TZクラスに入って、安心しすぎていました。
四年生になり、内容も難しくなっていき、後から入塾してきた友達に順位が抜かれると焦りを感じるようになってきました。そしてこの頃から、九州一の難関校である久留米附設中に行きたい、という気持ちになっていきました。先生からは、附設中合格のボーダーは、TZSに入ることと聞いていたのでTZSを目標にして、予習・復習をしっかりするようになりました。TZSに入ったり入らなかったりという成績でしたが、五年生になると、安定してTZSに入ることができるようになりました。そして、憧れのTZS1にも入ることができ、附設中に行けるかも、という持ちになっていました。
六年生になり、いよいよ、附設中模試が始まりました。コツコツ頑張ってきたのに、模試では、ボーダーラインと言われていた百五十位以内になかなか入ることができず、少し焦る気持ちもありましたが、英進館の先生を信じて、予習・復習に取り組みました。漢字・語句と計算は、毎朝、コツコツすることにしました。大好きな社会は、すぐに覚えられるのに、苦手な理科は覚えるのに時間がかかり、後まわしにしていましたが、逃げずに理科の勉強時間を少し増やすことにしました。すると、模試を受けるたびに成績が上がっていき、最後の模試になると五十番台となり、入試本番、どんな問題がでるか楽しみな気持ちになってきました。
入試本番では、算数が思うように解けなかったため、発表まで、気持ちが沈んでいましたが、合格とわかり、とても嬉しかったです。最後まであきらめないことが大切です。佐賀校の先生、そして一緒に頑張ってきた友、本当にありがとうございました。
僕の挑戦
N・Rさん
久留米大学附設中学、福岡大学附属大濠中学、西南学院中学、早稲田佐賀中学、青雲中学、久留米信愛中学 合格
附設中入試当日。全ての試験が終了した時、まだ結果が出ていないのに、僕はすがすがしい気持ちでいっぱいでした。なぜなら英進館で学んだ三年間に悔いはなかったからです。
英進館との出会いは、兄の入塾がきっかけで、面白そうだから僕も行くと軽い気持ちからのスタート。最初は授業が楽しいだけで満足でしたが、優秀者一覧に載ったのが嬉しくて、上位クラスにいることにこだわりを持つようになりました。受験する気はありませんでしたが、宿題だけは欠かさずに頑張りました。
そんな僕に転機が訪れたのは、小六の六月、勉強合宿の時です。気が進まない中参加した合宿で、各教場から集まったライバル達のレベルの高さ、志の高さに圧倒されました。僕もこのライバル達と肩を並べ、挑戦してみたいと思いました。
それから、本当の意味で、僕の受験生活が始まりました。まず夏休み、心を入れ替える為、次のことを実践しました。①一日にやるべきタスクを書き出して計画的にやる。僕は怠け癖があるので、少しだけ多めのタスクを書いた方がやる気がでました。②自習室をたくさん利用する。塾にいたら嫌でも勉強します。③自宅ではタイマーで時間を計りながらオン・オフのメリハリをつける。休憩の時は思い切り好きなことをするとリフレッシュできました。あとは『予習→しっかりと授業を聴く→その日のうちに復習』と、基本の流れを徹底し、言われたことをしっかりやるだけでした。すると、秋以降、成績は上昇。でもそこで僕の悪いところは、油断です。そのため入試直前の模試では、急降下。これはマズイと思い、残り数週間、気を引き締めてラストスパートをかけました。結果は合格。積み重ねた努力が実を結ぶことを実感する日でした。
受験生の皆さん、どうか最後まで諦めないで下さい。今、思うようにいかなくても、僕のように受験を決意したのが遅くても、あきらめずに努力していたら、きっと未来は変わります。自分次第です。
僕は中学受験という挑戦を通して、たくさんの事を学ぶことができました。これも、今まで熱心に指導して下さった先生方、ともに切磋琢磨した友達、いつも温かく見守り応援してくれた家族がいてくれたおかげです。本当にありがとうございました。
仲間がいたから
M・Mさん
青雲中学、早稲田佐賀中学、上智福岡中学、西南学院中学、福岡大学附属大濠中学、ラ・サール中学 合格
ぼくは受験で多くの人に支えてもらいました。一人目は家族で、とくにお母さんです。お母さんは塾に行くときの送り迎えや塾で食べるお弁当作りなどをしてくれました。また勉強で悩んでいるときには話を聞いてくれました。二人目は英進館の先生方です。先生方はT先生やF先生をはじめ多くの激励会を開いてくださいました。特に「受験は団体戦」という言葉に勇気づけられ、激励会のたびにやる気になりがんばりました。そして何よりも先生の授業は分かりやすいし、とても面白かったです。
もちろん受験勉強がずっと順調だったわけではなく、思うように成績が上がらず悩みました。特に社会は勉強しているのに点数が取れず、テストではいつもなら解ける問題も間違えたりしました。そんなときは、他の科目でカバーすればいい!と思い、テストにのぞんでいき、全体では少しずつ点数があがっていくことができました。社会もくり返したら解ける問題が増えていき、練習することは本当に大事だなぁと思います。
うまくいかなかったときに、ぼくから二つアドバイスがあります。まずは困ったらすぐに先生に相談することです。塾の先生はどんな質問でも優しく答えてくれました。先生と話すと気が楽になって楽しかったです。そして二つ目はリフレッシュしながらがんばることです。ぼくは勉強に疲れたときは少し運動して気分転換していました。
最後に、この受験をぼくが六戦六勝という結果で終われたのは、同じ目標に向かう英進館の仲間がいて、きついときでもお互いに励ましあって成長できたからだと思います。受験会場でも英進館の先生や仲間にあって緊張がほぐれて全力を出すことができました。本当にこの受験で支えてくれた家族や天神三号館の先生方ありがとうございました。これからもがんばって学校の授業についていけるようにします。英進館に通っていた三年間本当にありがとうございました。とても楽しかったです。
自分らしく!!
Y・Sさん
福岡大学附属大濠中学、西南学院中学、早稲田佐賀中学、青雲中学、上智福岡中学、東福岡自彊館中学、福岡舞鶴誠和中学 合格
僕は小学一年生の春期講習で自分から英進館に入りました。とはいえそのころは中学受験など考えてもいませんでした。実際五年生までは「受験はしない。」と宣言していました。しかし小学六年生、算数のS先生に出会ったことで僕の意識が変わりました。先生から三回繰り返し復習するプリントを渡され、最初は正直きつかったですが、どんどん成績が上がり、それによって受験をしてみたいという気持ちができてきました。その後、第一志望校をどこにしようか迷っていた夏に大濠中のオープンキャンパスに行ったことで僕は「この中学校に入学したい。」と本気で思うようになりました。そして僕はもし大濠に落ちて他の中学に受かっても、大濠以外の学校には絶対に行かないと心に決め勉強を続けました。途中、先生に注意されても大濠に行きたいという気持ちを忘れず勉強を続けました。その結果、大濠に合格することができました。今までの苦労のためか合格したことが分かったとたんに立ちあがり思わず泣いてしまいました。僕の人生で最高のよろこびでした。しかし僕の合格は家族と周りの仲間達のおかげでもあります。きっと今、受験勉強中のみなさんも、生活のためにお金をかせいでくれたり、ごはんを作ってくれたりするのは家族の方々でしょう。そんな人達には必ず「ありがとう。」と言ってください。そんな人達の努力を無駄にすることのないようどんなときも努力を続けてください。そうすればきっと合格することができます。あきらめなかったその先に待っているのは必ずよろこびであると私は信じています。みなさんもくじけず前を向いて、周りに流されず自分らしくがんばってください。応援しています。
中学受験を通して
Y・Tさん
九州国際大学付属中学、西南女学院中学、照曜館中学、福岡教育大学附属小倉中学 合格
私が英進館に通い始めたのは、五年生の夏休みからでした。勉強についていけるか、友達をつくれるか、最初は不安でいっぱいでした。授業についていくのに必死だった私は、質問教室を積極的に利用しました。授業も分かりやすかったので、苦手な教科の問題が少しずつ解けるようになっていきました。五年生の冬、マンスリーテストで初めてクラス一位になった時はとても嬉しくて、問題を解くのが楽しくなっていきました。
六年生になってからは、授業がない日も自習室を利用し、帰る頃にはヘトヘトになっていたのを覚えています。時にやる気が失せ、勉強したくないと思うこともありました。それでも続けられたのは、英進館の先生方や友達、両親の支えがあったからです。英進館の友達は個性豊かで、休憩中の会話も楽しく息抜きになりました。算数が苦手な私に解き方を教えてくれたり、テストの点数が悪かった時は励ましてくれたり、尊敬できる友達や、良きライバルがいたことで、英進館に通うのが楽しくなりました。
第一志望校受験の日。緊張しやすい私は、友達と行ったほうがリラックスできると思い英進館の引率で行くことにしていました。駅に集まると、急に不安になって涙が出てしまいました。そんな私に友達が寄りそってくれて、元気づけてくれました。友達のおかげで受験前に重要な語句をチェックしたり、落ち着いて見直しをしたりすることができて、無事に合格することができました。
受験を通して、忍耐力や努力し続けることの大切さを知りました。そして、英進館でできた大切な友達を中学校に行っても、友達と励まし合いながらがんばっていきたいです。
最後に、これまで私を支えて下さった折尾校の先生方、本当にありがとうございました。
自分を信じて
Y・Jさん
青雲中学、長崎大学教育学部附属中学、海星中学 合格
二〇二五年一月十五日、私は母から青雲中学に合格したことを知らされた。その瞬間、喜びのあまり涙を流すと共に今までの努力が頭の中を駆けめぐった。
私は、小学二年生の夏に青雲中学校に入学したいと思い英進館に入塾した。英進館の授業はとても楽しく、通塾も家庭学習もスムーズに進めることができた。そして、三年生からTZクラスに入ったが、四年生になると少しずつ学習内容が難しくなり、予習復習、テストの勉強でいっぱいいっぱいになってしまった。すると、やる気が落ちてしまい、成績もどんどん下がっていった。私は、このままではいけないと思い、基本をしっかり身に付けようと五年生になる時に自らSAクラスにいくことにした。
SAクラスの授業はTZクラスに比べて基礎中心のものだったので最初の頃はテストの成績もSAクラスでトップを争うぐらいだった。だけど、その成績にあぐらをかいてしまい少しずつ成績が落ちていき、とても悔しい思いをした。
そこで、私はその悔しさをバネに勉強を頑張り六年生になると、少しずつ成績が回復していった。しかし、六年生の秋ごろには算数と理科の成績が下がった。不安になった私は先生にどうすればいいか相談した。「大丈夫!!」という先生からの温かい言葉と具体的な指導とともに、母から間違った問題を中心に復習ノートを作るようにアドバイスを受けた。すると、苦手だった問題も解けるようになり、点数がとれるようになった。それでも、青雲中学校に合格できるのか不安があったが先生達の「大丈夫!!」という言葉を信じて、諦めずに勉強を頑張った結果、青雲中学校を含む三校全てに合格することができた。
私は四月から青雲生となる。これからも色々な壁にぶち当たる事もあると思うが、今回の経験を活かして、頑張っていく。
最後になりましたが、不安な時も親身に相談に乗りいつも応援して下さった先生方にはとても感謝しています。本当にありがとうございました。

合格体験記 高校受験
私の成功体験
A・Rさん
香住丘高校、福岡工業大学附属城東高校 合格
私は今までほとんど成功したことがありませんでした。小学校六年生の時、「不合格」の文字を見て絶望しました。中学受験で落ちたのです。それからはどれだけ頑張っても意味がないと思い勉強せずTSからSの一番下まで落ちてしまいました。しかし、中学二年生の夏頃、だんだん受験の話が増えてきて「このままではまずい」と思い、必死に勉強しました。中学二年生の冬見事TSに上がることができました。「福高合格」を目標に努力を続けました。それでも「努力は裏切らない」なんてこともなく夏の公合判でSに落ちてしまいました。その悔しさをバネに夏休みは毎日のように英進館に通い、朝から晩まで勉強しました。すると夏明け、TSに戻ることができました。しかし、またすぐに落ちてしまいました。夏を過ぎると本格的に受験が始まります。そのため成績が伸びづらくなります。しばらくして現実を見るべき時期が来てしまいました。福高は正直難しいということになり私立専願へと方向転換し、「絶対合格する」とパスカルで頑張りました。しかし、私に届いたのは「不合格」でした。ただ私立の前期入試は二週間後だったのですぐに勉強を始めました。悔しくて辛くて泣きながら勉強しました。結果は目標だった一類特選には届かず、一類でした。もう悔しい思いはしたくないと公立入試に向けて勉強しました。「もういやだ」「もうやめたい」と言い、沢山両親と喧嘩しました。プレッシャーに押し潰されそうになり、何も手をつけられない日もありました。それでも両親や先生方の応援により、最後まで頑張ることができました。
不安な中迎えた合格発表。私の番号があったのです。「合格」の文字を見て、人生で初めて嬉し泣きしました。本当に嬉しくて両親と抱き合いました。
失敗が続いても「次こそは」と諦めずに頑張ることが大切です。そうすることで、いつか必ず報われると私は思っています。
最後になりますが、新宮校の先生方、最後まで私を励まし、支えて下さってありがとうございました。これからも夢に向かって頑張ります。
諦めない自分がひらいた合格
U・Rさん
早稲田佐賀高校、九州国際大学付属高校、筑紫女学園高校、福岡高校 合格
私が福岡高校に合格する可能性はかなり低いものでした。それでも合格することができたのは、英進館での二年間があったからです。
英進館に通い始めた中学二年生の春頃、学校のクラスメイトと英進館の生徒では勉強に対する「当たり前」が大きく違っていて、衝撃を受けたのを覚えています。順調に成績が上がり、三年生になりました。数学と社会が苦手でしたが、秋までは他の教科で補える程度でした。しかし、一月五日に受けた模試から段々と悪くなっていきました。受験直前まで毎週模試があり、結果が返ってくる度に不甲斐なさに迎えの車の中で泣いていました。そんな中でも、英進館の先生方のサポートとアドバイスで、自分に必要な勉強を効果的に行うことができました。数学の先生に質問に行った際も、何時も私が理解するまで根気強く教えていただきました。社会は「同じ問題は落とさない。」と決めました。そのためにノートに間違えた問題を切りとって、解答と一緒にまとめ、周辺の知識をメモし、いつでも確認できるようにしました。授業の前後は一、二時間だけでもと自習室を使うようにしました。しかし、最後の最後でE判定。親にも言えませんでした。それでも前日まで諦めず、不安も残るまま本番に向かいました。数学では頭が真っ白になることもありました。先生方のことを思い出して何とか解ききり、社会では英進館で解いた問題が多く、楽しんで解きました。そのおかげで最後の科目である英語の「やめ。」合図まで実力を出しきることができたと思います。
最後に、英進館の先生方、本当にお世話になりました。つらい時期も勉強を継続できたのは、先生方に勉強だけでなく精神面でも支えられていたからです。この二年間は今後も私の助けになると思います。人生の財産となりました。本当にありがとうございました。
最後まで自分を信じて
K・Mさん
広島皆実高校、崇徳高校 合格
私は中学二年生の冬頃に仲の良い友達に誘われて英進館に通い始めました。それまで、私は勉強が得意とは言えず、塾のみんなについていけるか不安でした。
しかし、実際に通ってみると、授業がとてもわかりやすく、少しずつ勉強のコツがつかめるようになりました。また、塾には同じ目標を持つ仲間がたくさんいて、一緒に励まし合いながら勉強できる環境がありました。塾に通い始めてから、自然と勉強する習慣が身につき、成績も少しずつ伸びていきました。
ところが、受験直前の模試で思うような結果が出ず、不安になり、今のままでは第一志望校に合格できないのではないかと思い、志望校を変えるべきか悩みました。そのときに塾の先生に相談すると、「行きたい高校を受けることが一番いいと思うよ」と言われました。その言葉を聞いて、自分の気持ちを改めて確認し、「やっぱり志望校を変えずに頑張ろう」と決意しました。
本番では最後まで諦めずに問題に取り組み、結果的に志望校に合格することができました。あのとき先生が背中を押してくれていなかったら、もしかすると違う道を選んでいたかもしれません。英進館での勉強や仲間との出会い、先生の励ましがあったからこそ、合格を勝ち取ることができたのだと思います。
受験ではつらいこともありますが、最後まで自分を信じて本番に挑んでください。
最後にいつも近くで支えてくれた両親、一緒に頑張った仲間たち、様々な場面でサポートしてくださった広島校の先生方、本当にありがとうございました。
あなたにも、ガンバレ!
K・Nさん
早稲田佐賀高校、福岡大学附属大濠高校、修猷館高校 合格
これを読んでいるあなたは今、どんな不安の中にいるのだろうか。志望校に足りていない点数をどうするか悩んでいるのだろうか。受験本番に自分の力を発揮できるか心配になっているのだろうか。せっかく私の作文を読んでもらえたので、あなたを勇気つける内容にできていれば幸いだ。
私は原校の先生方や友人、家族の支えもあり、ずっと第一志望にしていた修猷館高校に合格することができた。両親からは「正直、合格すると思ってなかった。」と言われたから、二人で嬉し涙を流した。それもそのはず、私の入試前で成績がでる最後の模試での偏差値は五十二。修猷館のC判定ラインが六十。判定はE。合格するためにはあと二週間で二百人近くのライバルを追い抜かなければならなかった。こんな状況の中でも塾で担任をしてくださった先生からは「君はもう志望校変えんやろ。」と言われていた。迷いがなかったわけでもない。両親には受験校を下げるように言われたこともあったり、一つ学校を下げても安心できるというわけではなかった。でも、逃げたくなかった。私は偏差値五十二をとってから、自分のことを思いっきり信じてみることにした。
受験当日、学校の先生に点呼をとられた後、応援にきてくれていた塾の担任の先生に「全力でやってこい。」と言われ校舎に入った。手ごたえは悪くない。直前に復習した問題も出て回答できた。そして、これまでの努力と多くの人の支えのおかげで合格することができた。「今日一番嬉しい報告やったよ。」と先生から言われたときは、自分が先生にかけていた心配の大きさを痛感するとともに、心から応援してくれていたことに対する感謝の気持ちでいっぱいになった。
私がこれを読んでいるあなたに大切にしてほしいことはあきらめないことだ。あきらめない限り可能性はゼロじゃない。不安になったときに進み続ける勇気があるか、もしくは背中を押してくれたり、一緒に進んでくれる仲間がいたりすることはすごく大切なことだ。これから困難に向かっていくあなたにも、私が散々言われてきた言葉を心の中から大きな声で送ろうと思う。
ガンバレ!
可能性に限界はない!
S・Kさん
早稲田佐賀高校、熊本学園大学付属高校、熊本高校 合格
私は小学校六年生の二学期から英進館に通っていましたが、宿題や復習などを中途半端にする生活が続き、中三の二学期まで一度もTSになったことはありませんでした。
中三の夏期講習の段階では熊本高校を受験しようと思ったことは一度もありませんでした。しかし、友人が夏期講習期間、自習室が閉まるまで勉強をしている姿に影響され、私も一緒に勉強をするようになりました。その結果、八月末の模試でTSに上がることになりました。しかし、TSでは自分と周りの人達の積み上げてきた努力の差を痛感すると同時に、自分の成績の向上に心がついていきませんでした。それでも、TSをキープするのが精一杯だった十一月末、何度もY先生が勧めてくださった、「熊本高校の受験」を決めました。
この決定は私に「トップ校への合格」という明確な目標を与え、勉強に対する意識の改善に大きく役立ちました。目標を見つけた私は、残り四ケ月でとにかく勉強の「量」の必要性を感じ、塾の開館日は自習室を、休館日は図書館を利用し、勉強時間をつくりました。
私は周りの人に影響されやすく、夏休みの勉強のきっかけやその後のやる気の維持の中核は、頑張っている英進館の仲間でした。そして、大きな目標や周りの人々の影響のおかげで努力を続けられ、合格することができたと思います。
これを読んでいる人には、自分の可能性を狭めず、常に上を目指し、「ライバルに勝つ!」という野心を抱いてほしい。私がそうであったように、この思いを原動力にして自分の可能性をどこまでも高め、合格発表の日にみなさんの目標が達成されることを願っています。
最後に、可能性を広げてくださった先生方、本当にありがとうございました。先生方なしでは、この体験記を書くことはあり得なかったと思います。本当にお世話になりました。そして、今日も高等部で大学受験に向けて勉強してきます。
大丈夫。きっと上手くいく。
S・Eさん
鶴丸高校、鹿児島高校、樟南高校 合格
「根拠はなくていいから自信を持て。根拠は先生達がつくる。」
中学三年生になったばかりの頃、数学の授業のときに先生が突然言った言葉に私は衝撃を受けました。
正直、私の自己肯定感は低いうえ、豆腐のようなメンタルです。そんな私の心の支えとなったこの言葉をみなさんに送りたいです。受験に必要なものは「自信」であると断言できます。自信があれば学力なんて勝手に身についてくるということを受験を終えて実感しました。本当に根拠は先生達がつくっていたのです。
ではどうすれば自信をつけられるでしょうか。簡単なことです。ライバルをつくってください。小テストで毎回勝てるように必死に勉強してください。勝っても下を見てはいけません。次はあの人に勝とうと上を見ることが大切です。そうしていくうちに自然と自信がついてきます。
受験生としての一年間、決して楽ではありませんでした。みなさんもきっと同じですが、そこで弱気になってはいけません。周りには強い味方がいます。夢を語り合える仲間、毎日送迎をしてくれ、お弁当や荷物を届けてくれる家族、熱のこもった指導をしてくれる英進館の先生。きっとうまくいくと自分を信じて頑張ってください。「合格」は自分のためだけのものではないです。味方になってくれた人達への恩返しでもあります。
最後に、私は谷山校でたくさんの時間を過ごしました。新聞に折り込まれたチラシを見つけてから七年。出会いのきっかけはちっぽけなものでしたが、私は谷山校の生徒で後悔したことは一度もありません。そう思えたのは全て先生方のおかげです。本当にありがとうございました。
良い花は後から
S・Sさん
弘学館高校、青雲高校、久留米大学附設高校、鶴丸高校、慶應義塾女子高校 合格
私は小学校四年生で入塾した。当時は、SAクラス。英進館の面白い授業を受けながら、中学校ではTZSクラスになり、順調に過ごしていた。勉強さえすれば、点数はついてくる。そう感じていた中三の六月、私は現実の厳しさを、目の当たりにした。
附設高模試の数学、二十三点。(百点満点)
その日から、数学に割く時間は増えていった。夏が過ぎる頃には、平均点に届きたい。その一心で、地道に解き直しや演習を繰り返した。しかし、結果は散々であった。
時は流れ、一月の最後の模試を迎えた。もう、入試には間に合わない。そう思い始めていたその時、今までの先の見えなかった努力が、功を奏し始めた。六十六点。初めて平均点を超えた。
そして迎えた附設高入試当日。数学がどんどん解けた。こんなに解けたのは初めて、というくらい、解けた。数学が終わった後の休み時間、「これまで頑張って来て良かった。」と、達成感と嬉しさで、涙が止まらなくなった。今までの悔しさが、嬉し涙へと変わった。それから二週間後、チャレンジ校であった慶應女子の合格をも手にすることができた。
私の苦しかった十ヶ月間。成功のもとは、自分の努力を信じたことだろう。点数自体は変わらなくても、その裏にある小さな「できるようになった」をかき集めながら、前に進み続けた。そうすることができたのは、間違いなく、周囲の人の支えがあったからだ。
数学の先生は、鹿児島校のO先生で、「数学が暗黒時代でも、もっと点数がとれるはずなのに、本当にSはナゾ(笑)」と笑ってくれて、少しでも点数があがると一緒に喜んだ。私が数学を嫌いにならなかったのは、先生が面白かったからです。担任のH先生は、小学生から私の成長を見てきた先生だ。井の中の蛙だった私は、先生に「きっとここまで目指せる。」と高い空を教えてもらった。そして、その日から、私の挑戦は始まった。私の可能性を信じ、最後まで一緒に走ってくださった鹿児島校の先生方、本当にありがとうございました。それから、毎日顔を合わせたTZクラスの同志たち。私は、みんながいなかったらきっとここまで来ることはできなかったと思う。いつも目標で、刺激で、同級生だけど心から尊敬していました。最後に、苦しさを一番分かってくれて、温かく応援してくれた家族。入試前日、頼み込んで作ってもらったカツカレー、全部おいしかったです。ありがとうばかりの受験でした。
受験生の皆さんへ。これから歩む道は、平坦なものではないかもしれません。思うようにいかないことも、逃げ出したくなることもあると思います。そんな時は、同じ場所を目指して進む、周りの人たちを見てみてください。大きな壁に、立ち向かう勇気をもらえるはずです。最後まで自分を信じて、最高のゴールテープを切ってください。応援しています。
秘めた可能性
N・Rさん
灘高校、久留米大学附設高校、筑紫丘高校 合格
「Rが灘受かったら尊敬するわ。」
中一TSの時、原田校にいたT先生がそう言ってくれた。「頭の良い所とは聞いたけど、僕には無縁の高校だろう。」僕はそれくらいに思っていて、判定が出てもTZやTZSには行こうとしなかった。その二年後にまさか自分が附設や灘といった難関校に受かっていようとは当時は想像もできなかっただろう。
僕が英進館に入ったのは中学準備講座。進路に関しては、地元公立トップの筑紫丘高校に進学できれば良い方だろうと考えてなんとなく一年を過ごした。先述の通り、離れた校舎のTZに行くのは部活を理由に判定が出ても断っていた。しかし、中二の夏、原田校のI先生(ディカプリオ)に強く勧められ結局春日本館のTZ、そして冬期講座には天神本館のTZSに入った。附ラを目指すTZは今までとは本当に別世界だった。速い進度や授業内容の難しさは当然のこと、教えて下さる先生やそれについていく生徒の気概が何よりも凄まじかった。「井の中の蛙」はまさにこの事。分からない問題ばかりでペンが走らない、模試の感覚は悔しいというより気持ちが悪かった。それでも僕が中三の夏にTZNに選抜され、更に附設や灘に合格する程学力を伸ばせたのはなぜだろうか。
僕が三年間で特に頑張ってきた事は二つある。一つはテスト勉強。正直毎授業の復習など少しもしていなかったけれど、小テや実テ、特に塾の週テや学校の定期考査には全身全霊で取り組んだ。このおかげで知識の土台を作るだけでなく、「全力の出し方」を中学一、二年の内に身に刻むことが出来た。
他にも頑張っていたことがある。中学校での行事のリーダーや生徒会長等の活動だ。これらと勉強や部活の並立は本当に大変だったし、全く勉強や受験に関係がないと思うだろう。しかし、勉強だけにずっと集中するのは(少なくとも僕は)不可能だ。多種多様な活動は飽きるものではなく、勉強のリフレッシュにもなり、何より自分の精神力を高められた。更に、このおかげで筑紫丘高校には推選入試で合格できたのだ。
自分に無意味そうな課題や経験は勉強やそれ以外でもたくさんあるだろう。それでも、いつか役に立つと信じて、前向きで積極的な姿勢をこれを読んでいる人には大切にしてほしい。このように自分も努力してきたが、灘や附設に合格できたのは間違いなく英進館の先生方のおかげだ。例えば、M先生(K.K.)の国語の授業は別格だ。文章の内容や筆者の考えを一方的に教えるのではなく、受験生の立場に立って解答の組み立て方を教えて下さる。僕は国語が本当に苦手で偏差値三九を取ったこともあったが、特にM先生の作る灘高直前模試をひたすらに解いて、灘高入試では八四点を取り、合格につながった。
もう一つ、苦手だった教科がある。数学だ。そんな僕を救ってくれたのは、英進館最高峰の数学教師、将軍だ。将軍は一つの問題に対して、一見関係のない公式や図形、座標、時には高校単元まで使っていくつもの超人的な解法を見出す。このおかげで様々な解法を会得、体得、解脱、空中浮揚するだけでなく、数学をもっと楽しいと思えるようになった。
自分が経験したことのない高校受験を成功させる一番の方法は「経験者」を頼る事だと思っている。分からないこと、劣っていることを恥じず、英進館の先生方を信じ、必死に勉強に励んだことで高校受験を成功させることができた。
三年前、日本一の灘高の存在さえ知らなかった僕でも、灘高に合格することが出来た。その可能性を引き出し、高め、僕の人生は大きく変えてくれたのは英進館だ。何より、学ぶこと努力することの楽しさを教えてくれた。英進館は最高の塾だ。
最後に僕の高校受験を支えてくれた、T先生やI先生をはじめとする原田校の先生方、春日本館の先生方、将軍やM先生といった天神本館の先生方、家族、英進館の仲間達、本当にありがとうございました。この経験を忘れずに、もっと高みを目指し続けます。
努力こそが私の武器
H・Yさん
熊本高校、九州学院高校 合格
私は英進館に五年間通いました。その五年間で中学、高校受験を経験し、どちらも第一志望校に合格できました。私は私立の中学校に通っていたため、そのまま同高校への進学も視野に入れていました。しかし、英進館の三者面談の際に、「その力があるのなら熊本で一番の学校で過ごす三年間はきっと素晴らしいものになると思うよ。目指してみても良いのでは?」と助言を受け、中二の夏に熊本高校を受験する決意をしました。
私は共通テストや大予想模試の前は何をするべきか分からないことが多々ありました。そんな私が受験当日に向けて力を入れたことがありました。それは大予想模試のやり直しです。定期考査の勉強のように問題文や記号を覚えてしまうほど何度も復習しました。
そして迎えた入試当日。問題を見ると大予想模試で出題された問題の類題が多くありました。そう思えたのはあらゆる単元を網羅した模試を英進館で解いてきたからです。そのおかげで私は落ち着いて問題を解くことができました。特に私が苦手としていた社会では模試で解いたことがある問題が出たことでスムーズに解答でき、今までで一番良い点数を本番で取ることができました。むしろ、解けることが嬉しくて試験を楽しむ余裕さえありました。
これから受験を迎える皆さんへ。受験勉強は本当に大変で、「自分の想いは足りているのか」、「勉強は足りているか」と不安になることもあるかもしれません。しかし、それを乗り越えた先には新しい景色が広がっています。また、学校生活の面では何事も一生懸命に行ってください。私は学校の定期考査や行事、生徒会活動なども懸命に行ったことで通知表はオール五を維持できました。受験において通知表は勉強と同じくらい重要です。また、塾では分からない問題や疑問点は理解できるまで先生方に質問し、記述問題や作文は添削していただくことを大切にしてください。私は最初、「こんな基本的なことを聞いてもよいのだろうか」と不安に思うこともありました。しかし、英進館の先生方は私の勉強の味方であるという認識でいたので、休み時間や授業後に先生方を捕まえて幾度も質問をしていました。どの教科の先生も快く応じてくださり、感謝しています。さらに、質問した問題はそれで終わりにせずもう一度自分で解き直し、本当に理解できているかを確認するようにしました。この復習を徹底したことで、類題が出たときに迷わず解けるようになり、確実に力をつけることができました。
振り返ればとても楽しい受験期で、英進館に通った五年間はとても素敵な時間でした。そして、私を合格に導いてくださったO先生をはじめとする田迎校の先生方、いつも応援してくれた家族に感謝しています。本当にありがとうございました。
合格の秘訣
Y・Aさん
甲南高校、鹿児島高校、樟南高校 合格
私が受験を経験してやって良かったと思うことを三つ伝えます。
一つ目は、新しい教材にやたら手をだすのではなく英進館の模試をくりかえし解くことです。模試を何度も解いていると、自分の苦手な所や傾向を知ることができます。苦手な所がわかると、次にピンポイントで苦手部分がつぶせます。英進館の模試は、公立入試問題より少し難しく、この模試で慣れてくると実際の時間配分もつかみやすくなります。また、受験者のレベルが高いので受験校を決める際も正確な判定を知ることができます。
二つ目は、英検に挑戦したことです。中学入学当初、私は英語が苦手でした。単語や文法が固まっておらず、いざテストになるとなかなか点数にむすびつかなかったのです。そこで先生にすすめてもらい、英検を受けることにしました。リスニングも最初は難しく聞き取れない事の方が多かったです。でも受験日まで日数もなく必死で過去問を解いているうちに、傾向もつかめ、単語や文法もその都度見直す機会が増え、自分の力になってきました。集中的に英語を勉強した事をきっかけに、模試の英語の成績も伸び始めました。単語や文法、リスニングの土台が作られると、模試で失敗する事もなくなってきました。一科目、得点源に出来る教科を作れると、他の苦手科目に取り組める時間も生まれるので、おすすめです。
三つ目は、基本的な事ですが体調管理です。受験日に良いパフォーマンスが出せる状態を作るよう私は心がけました。特別な事はしませんが、自分自身のルーティンを作り、無理をせず、そのルーティンを毎日こなすことが大事です。受験直前も少し緊張はしましたが、いつも通りの力を発揮する事が出来ました。計画を立て、地道にこなす大切さも学びました。
最後に、どんな時も的確なアドバイスや相談にのってくれた鹿児島校の先生達に感謝しています。ありがとうございました。
合格と絶頂
Y・Sさん
青雲高校、久留米大学附設高校、福岡大学附属大濠高校、修猷館高校 合格
僕の英進館人生の始まりは、中一の春期講習。クラスはTSでした。最初の頃は、難関私立に受かりたいだなんて夢にも思いませんでした。もし、これがTZクラスからのスタートであったとしても同じようなことを考えていたのだと思います。しかし、ちょっとした欲はありました。TZクラスには絶対に入りたいというものです。僕の兄はTZのクラスだったので、兄には負けたくないというくだらない対抗心からくる意欲があったのだと思います。そんな感じで入ったTZのクラスですが、今では心から入って良かったなと思っています。
なぜ僕がそんなことを思っているのか、その理由は紛れもなく僕らのTZの担任であるO先生です。先生は時折、僕らに話をしてくださいます。授業とは関係のない、僕らにとってはとても有意義な話を。そして決まって話の最後には激励をされるのです。「正直、高校入試なんてただの通過点に過ぎない。それよりもその先の人生の方がよほど重要だからその為に今、勉強しろ。」と。なるほど先生は僕らの人生を本気で考えてくれているのだな。ならば、その期待には応えたい。附・ラ合格という形で絶対に応えよう。これが原動力となりました。
受験はマラソンだと言われることがあります。まさしくその通り。であるからこそ、それを走り切れるだけの原動力を持つ人間はとても強くなるのだと思います。夢や目標、期待や願い、中一の僕のように対抗心のようなものでも良い。原動力になるものを見つけ、あとは必死に走り続ける、これが重要です。僕も必死でした。本当に時間がなかった。部活と生徒会、その両方で幹部的な立ち位置にいたので、勉強時間をつくるというのは至難の技でした。なかなか思い通りにいかないことがある中、僕はとにかく「週テスト」をがんばりました。「週テストで努力した人間は必ず受かる。」これも先生の「金言」です。そして迎えた附設受験日。実を言うと、附・ラの模試で目立った結果を出すことは叶いませんでした。それでも受験前に僕が抱いていた感情は『天地がひっくり返っても自分は落ちない』という自信でした。これは大きな模試で結果は出せずとも、小さなテストでこつこつと積み重ねてきた努力からくる自信でした。そして僕は受かりました。受験した高校には全て。特待をとった学校もあります。今までの努力が報われたようで、ただ純粋に嬉しかったのを覚えています。
最後に謝辞を少々。本来、僕はここで「巣立ち」を書き綴れるような人間ではありませんでした。英進館、西新本館にいたからこそ、僕は今ここで合格体験を書いているのだと思います。お世話になった先生方の顔、先生方とのやり取り、片時も忘れることはないでしょう。本当にありがとうございました。
「やっぱ英進館、最高だ!」
お母さん先生
Y・Aさん
鶴丸高校、鹿児島高校、樟南高校 合格
巣立ちを書いてみない?と声を掛けられ、高校受験を終えた今、私が伝えられることは何かと考えてみました。しかし、私は優等生ではなく、むしろ塾の先生方には迷惑をかけて過ごしてきました。振り返ると、黒歴史と言えるエピソードがいっぱいで恥ずかしくなりました。そんな私が伝えられることは一つ、「先生を信じる」ということです。
社会が大の苦手な私のために、担当の先生はプリントや小テストを課題として与えてくださいました。しかし実を言うとその頃は、私は社会が苦手だと思っていなくて、その課題の多さに時間をとられて逃げたいと思っていました。しかし、先生の熱量と言うか圧から逃げることができず、罰当たりなことに悶々としていました。そういう中で私立受験もあと数週間と迫った十二月、私はたくさん生徒がいる中で、担当の先生に過去最大の反抗をしました。きっかけは、言われたことをしていなかったことでした。友達には喧嘩と言われ、友達の親にも知れ渡り、不仲説が囁かれるほどでした。今思うと不安をぶつけたのかもしれません。それでも先生は変わらず熱い想いで支えてくださり、私のことを最後まで信じてくださっていたと思います。合格の報告をした時にはとても喜んでくださり、本気で応援してくださっていたのだと実感しました。
先生の言う通り、私は社会が苦手でしかも嫌いです。あの時に先生のアドバイスを信じて真摯に受け止めていたら、受験にもっと余裕をもって臨めていたと思います。皆さんも自分の計画や勉強法があると思います。勿論それも大事だと思いますが、私は聞き耳を持つことも大切だと学びました。先生方は私たちが思っている以上に生徒のことを考え、応援してくださっています。先生を頼って、信じてみてください。最善を尽くしてくださると思います。
最後にH先生、先生の強烈な圧から逃げ出したいと思ったことも沢山ありました。しかし受験会場で先生の姿を見つけて、とても安心して、落ち着いて試験を受けることができ、母のようだと思いました。私が他人の言葉に傷付き、悩んでいる時にも盾になってくださり、本当に救われました。
先生は私が自分をさらけ出した最初の第三者で、一生忘れないでしょう。長い間お世話になり感謝の気持ちでいっぱいです。
私を支えてくださった英進館鹿児島校の全先生方、友人、そして家族、ありがとうございました。

保護者様による合格体験記
運命は勇者に微笑む
I・Sさんのお母様より
熊本マリスト学園中学、弘学館中学、青雲中学、早稲田佐賀中学、西南学院中学、福岡大学附属大濠中学、ラ・サール中学 合格
これは、将棋界のレジェンド・羽生善治先生が座右の銘として語った言葉だそうです。息子の第一志望であるラ・サール中学校の合格発表の日、「おめでとうございます」の文字を見た瞬間、喜びとともにこの言葉が胸に浮かびました。
息子の受験までの道のりは、決して平坦ではありませんでした。成績が思うように伸びず、悩み苦しんだ時間の方が長かったように思います。
息子が中学校受験を目指し、英進館香椎本館に通い始めたのは五年生の春期講習からでした。器用なタイプではなく、時間をかけなければ物事をこなせない性格。必死に食らいつこうとしながらも、テストの結果は一喜一憂する日々でした。親として何か助けになればと思いアドバイスをするものの、反抗期に差しかかっていた息子は素直に受け入れず、口論になることも増えました。六年生になり、大好きなサッカーや友達との遊びも我慢して勉強に打ち込んでいるのに、なかなか成果が出ない。こんなに苦しい思いをさせてまで、中学受験という選択は正しかったのか…。何度も自問自答しました。成績表を見ては落ち込む息子の小さな背中を、私自身が受け止めきれなかったからです。それでも、息子は決して塾を休もうとはしませんでした。
一度だけ、「もう終わりにしよう」と家族で話し合い、先生に電話をしたことがあります。その日は泣き疲れて眠りについた息子でしたが、翌日も重たいリュックを背負い、いつも通り塾へ向かいました。その姿を見て、塾は息子にとって大切な居場所であることを強く感じました。
冬期講習が始まっても、成績の伸びはあまり感じられませんでした。ですが、息子は「絶対にラ・サール中に合格する!」と宣言するのです。弱音を吐かず、前を向き続ける息子に、私の方が励まされていました。
息子の成長を実感したのは、まさに受験期を迎えた一月。最初に受験した学校から特待合格を頂き、とても驚くと同時に「受験生は直前まで伸びる」というY先生の言葉を思い出しました。「まだいける!まだやれる!」――ラ・サール中学校の入試までこの勢いを止めないよう、家族で励まし合いながら過ごしました。
入試を終えた息子の「やりきった」という表情は、とても頼もしく見えました。小さかった背中は、いつの間にか私より大きくなっていました。
今回の合格は、息子が自分を信じて諦めず闘い抜いたからこそ掴んだ栄光です。苦しかった日々も、最後に高く跳び上がるための準備だったのだと、今なら思えます。
「運命は勇者に微笑む」
高い目標に挑戦した息子に、きっと運も味方してくれたのでしょう。これから受験を迎えるみなさん、どうか最後まで諦めずに頑張ってください。
最後になりましたが、合格へと導いてくださった香椎本館の先生方、息子の性格を理解し、活を入れてくださった担任のY先生、一緒に切磋琢磨してくれたTZクラスの仲間たちに心から感謝申し上げます。ありがとうございました。
大きくなった背中
K・Yさんのお母様より
AICJ中学、西大和学園中学、修道中学、広島学院中学、広島大学附属中学、開成中学 合格
「塾に行きたい」と小学三年生の息子が言い出した時、中学受験を考えていなかった私は、入塾をためらっていました。「中学受験は大変」「失敗して泣く息子の姿を見たくない」という気持ちの方が強かったからです。結局、息子に押し切られて入塾することになった時、私の目標は「元気に受験を終えること」でした。ところが、六年生の夏になると「県外受験に挑戦してみる」と言い始めました。目標が「元気に受験を終えること」から「県外の難関校に挑戦」へと変わることになり、はじめは私の決心がつきませんでした。本命の広島の入試前に県外へ行き、体調を崩して本命の受験ができなくなったらどうしよう、不合格になって立ち直れないまま本命入試をむかえたらどうしよう。そんな時、保護者会で「受験が終わった時、くやしくて泣けますか?合格した時、うれしくて泣けますか?本気で受験に取り組めていますか?」「もし、合格できずに落ち込んでいたら、とにかく塾に来させて下さい。何もできませんが私たちがそばにいることはできます。」とおっしゃっていた先生の言葉を聞いて、先生方にお任せすれば何があっても息子は大丈夫だと、県外受験を応援する覚悟ができました。息子の泣く姿を見たくないと思っていた私ですが、合格でも不合格でも涙が出るほど本気で取り組むことに大きな意味があるのだと今では思っています。大きなプレッシャーがあったであろう開成受験の日、受験会場への大きな階段を、ふり返らず駆け上がって行く息子のうしろ姿は、中学受験が何かも分からないまま「塾に行きたい」と言い出した三年生の頃よりとても大きく、たくましく見えました。
「二人三脚」というテーマですが、私が息子にしてあげられたことは何もありません。勉強のことは塾にお任せしていました。ここまで支えて下さった英進館鯉城学院の先生方、クラスメイトの皆さん、本当にありがとうございました。
心も体も大きく成長した中学受験
K・Mさんのお母様より
熊本信愛女学院中学、九州学院中学、真和中学、熊本大学教育学部附属中学 合格
娘が「受験したい。」と言い出したのは、小学四年生の時でした。他の塾も体験させ、英進館の授業が一番楽しかったというので、新五年生の講座から英進館に入塾しました。しかし、受験もしたいし、習い事も辞めたくないと、週一回の授業と欠席フォローで、対応していただきました。
先生からの助言もあり、新六年生の講座からは、習い事を減らして、受験に専念することにしました。夏期講習は、思っていたよりもハードなスケジュールでしたので、「大丈夫かなぁ。」と心配していましたが、娘は、塾がとても楽しいようで、帰りの車では、先生方のおもしろい発言を、思い出し笑いしながら、よく聞かせてくれました。
成績は、伸びてはいましたが、模試の判定は、乱高下していて、落ち込むこともありました。担任のM先生は、意外と繊細な娘の性格をいち早く見抜き、いつもフォローのお電話をくださり、大丈夫と励ましてくださいました。また、以前から苦手な社会の勉強がなかなか手につかないと相談すると、宿題とは別にプリントを出してくださったり、どこを勉強すべきか苦手単元を教えてくださったりしました。それでも本人は、社会だけは、やる気にならないようでした。
しかし、M先生と面接の練習をした時、「言い間違えた時に、それを取り戻そうとして、話が長くなる時があるよ。」など、本人が気付いていない具体的なアドバイスをいただき、また内容をたくさん褒めていただいて、不安が一気に自信に変わったようでした。
その頃から、娘の先生への信頼は絶大なものとなり、先生の助言通りに、苦手な社会も進んでやるようになりました。冬期講習も先生の「直前は、無理できないから、今、頑張れ」という言葉で、お弁当を二つ持って、朝から夜まで、英進館で勉強しました。こんなにも自ら進んで頑張れるようになったことに驚きました。
入試当日、「私、めっちゃ頑張ったよね!」と、自信を持って会場に向かう娘を見て、例え不合格だったとしても受験させて良かったと感じました。
合格通知が来た時は、大喜びで、成績開示で一番上のAAだったことに、更に大喜びしました。
私も娘も英進館の先生方には、感謝してもしきれません。また、一緒に頑張ったお友達のみなさんに出会えたことも大変良かったと思っております。本当にありがとうございました。これからもよろしくお願いいたします。
受験を振り返って
K・Hさんのお母様より
八幡高校、九州国際大学付属高校、弘学館高校、東筑紫学園高校 合格
娘の本当の高校受験は諦めることから始まりました。第一志望校に自分の学力では届かないと分かった娘の無念は、親の私にも計り知れません。しかし、志望校を変更した後でさらに苦しい状況に追い込まれるとは夢にも思っていませんでした。志望校の変更をした直後、突然凄まじく成績が下がったのです。入試二ヵ月前のことでした。すぐに娘を呼び発破をかけたつもりでしたが、娘の表情は虚ろで、何も響いていないことは明白でした。本人も何とかしようと必死だったようですが、成績の下降は全く止まらず、顔色は暗くなる一方。入試目前のこのタイミングで、何故—。小さくしぼんだ成績グラフを見ながら、私は頭を抱えました。
もはや万事休す。そう思ったとき、ふと保護者会で聞いたH先生の「受験はメンタル勝負」という言葉を思い出しました。このままでは娘は確実に負ける。泣く娘を見たくない。私は何をすべきか。そう考えた末、反射的にH先生に電話をしました。気が動転していたのか何を話したのか覚えていません。ただ、先生が「娘さんと話をさせてください。大丈夫です。任せてください。」と力強く言ってくださったことだけは、はっきりと覚えています。
それから間もなく、娘はH先生に面談をしてもらいました。すると、娘の顔に生気が戻り、信じられない程明るくなり、一心不乱に勉強を始めたのです。まるで魔法を見たようでした。しかし、その時点で入試まで一か月半を切っていました。普通に考えればとても間に合うはずがありません。それでも個別担任で社会科のS先生は「絶対に間に合わせます。」と言ってくださいました。あとは娘を信じ、先生方に託す。それが親としての最後の応援でした。
結果、合格を頂くことができました。正直、薄皮一枚の差、泥だらけで掴み取った勝利だったと思います。勝敗を分けたのは「社会」でした。本当に間に合わせてくださったのだと震えが止まりませんでした。
今、娘は高校生活に胸を躍らせながら課題と高等部東進での勉強に取り組んでいます。受験で得た学びを糧に、きっとこれからも夢に向かって歩んでいくことでしょう。
最後になりますが、戸畑校の先生方、本当に最後の一秒まで娘と共に走り抜けてくださり、心から感謝申し上げます。戸畑校は娘にとって大切な母校です。ありがとうございました。
子供を信じる
K・Sさんのお母様より
上智福岡中学、東福岡自彊館中学、筑陽学園中学 合格
中学受験は子供だけでなく親の関わり方も大切なんだと思える節がたくさんありました。始めの頃は母親の私が勉強を見ていたのですが「なんでこの問題が解けなかったの?」とキツイ言い方をしたり、私のタイミングで「早く勉強しなさい!」と声掛けをしていたので、子供のペースとは合わず、親子喧嘩が絶えませんでした。そんな様子を見かねて、父親が学習計画と状況管理など勉強に付き添うことになり、テストの結果が出る度に課題とその対策を話し合うことを続けました。父親とは感情的にぶつかることがなく、程よく勉強モードにさせることができたようでした。一方で母親の私は、勉強面で力になれない事がわかったので、食事やその他のサポート役に徹しました。子供のやる気が出ていない時には気分転換と称して、トランプで遊んだり、公園で遊んだり、おしゃべりしたり、買い物に連れ出すなどして、できる限り子供を応援する姿勢で接しました。六年の秋頃まで成績が伸び悩み、志望校はC判定止まり、三年間を通して何度も何度も担任の先生方に学習方法や今優先で取り組む課題の相談に乗っていただきました。そのおかげで秋頃に急にテストで点が取れるようになり、子供の笑顔も増えて勉強も本気モードに入ったことが見てもわかる程でした。入試時期一週間程前に体調不良や怪我に見舞われましたが、子供の心は強く、前向きな状態で入試を迎えることができました。入試を終えて受験生活はどうだったかと子供に聞いたところ、夜は塾に迎えに来てくれたこと、お弁当はコンビニで好きなものを買えたこと、いつも寝る前にトランプで遊んでくれたことなどが嬉しかったと言ってくれました。そんなことに喜んでくれていたんだなと思うと、親としての役割は果たせていたのかなと胸をなでおろしております。
先生方には子供の性格を見抜いて的確にご指導していただき、最後までサポートくださいまして大変ありがとうございました。
ピンチはチャンス
H・Sさんのお母様より
ラ・サール中学、鹿児島大学教育学部附属中学、福岡大学附属大濠中学、青雲中学、志學館中等部、池田中学、鹿児島修学館中学 合格
息子が英進館に出会い、入塾したのは小学二年生でした。中学受験を最初から目指していた訳ではなく、勉強の楽しさを学んで欲しいという思いのほうが大きかった我が家ですが、英進館は息子にピタリとハマったようでした。だんだんと中学受験を意識し五年生になるころ国・社は得意、算・理は苦手というのが露呈し始め、特に算数はその後入試直前までずっと苦戦が続きました。勉強の負けず嫌いだけは強く表に出る息子は、低学年の頃から問題が解けなかったり、テストが思ったよりできなかった時、悔しくて英進館でよく泣いていました。Y先生が泣く息子を連れてきてくれたり、後で担任の先生が電話を下さったり、教室でもかなりフォローしていただいていたのではと思います。土曜日のテストの後は、車に乗るなりこの世の終わりかのように涙ぐむこともしばしば。「テストができなかった」と。そんな時、焦りながらも自分が友人にかけられた言葉を思い出し、息子に声かけしながら帰りました。「ピンチはチャンスなんだよ」
ピンチと思うならそれはチャンスだ、まだ終わっていない、今ならまだ間に合うと。私は息子の涙を見る度に念仏のようにその言葉を繰り返しました。そして迎えた六年生。主人が単身赴任で不在の中、本当に忙しくなりました。最初の保護者会で担任のA先生の「この一年は子ども達をしっかりと支えてください」という言葉を聞き、何があっても息子とやり切ろうと思いました。ですが算数の心配は常にあり、本当に大丈夫だろうかと過ごす日々。送迎の車の中で、今日はどうだっただろうかと一人思いを巡らせながら毎日向かいました。日頃の頑張りとは反比例して下がる成績。焦る親の気持ちを「十分戦う力はついています。信じましょう」と受け止め、息子の性格もちゃんと把握し的確なアドバイスを毎回くれたA先生。先生の言葉を励みに毎日を繰り返しました。そして最後の一ヶ月、息子の成績は点と点が繋がるように驚くほど落ち着き、本人も自信がついたようでした。最後の授業を終え谷山校すべての先生の大きな激励と大きな拍手で英進館を出てきた6TZのみんなの表情と入試当日ラ・サールの決起集会での全員の決意の姿を私は今後も忘れられないと思います。「受験は団体戦」ホールに響き渡るその言葉を、痛感した瞬間でした。
試験後の息子は笑顔で谷山校に戻り、そして無事に合格を手にしました。六年生になって私の前で泣くことがなかった息子。晴れて合格の報告に向かった際、実は十二月はテストの度に泣いていたと聞き、もう親の前では泣かない息子の成長を寂しくも嬉しく思い、息子は英進館で本当に沢山のものを得て成長しました。同時に私たち家族にとってもかけがえのない経験でした。これからの人生、この努力と困難の日々は息子にとってとても大きな支えになると思います。
A先生を筆頭に五年間サポートし続けてくれた谷山校の先生方、事務の先生、本当にありがとうございました。先生方の思いとご指導を心より深く感謝致します。