合格者の声	|	英進館

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合格者の声

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Congratulations!!

この春、英進館に
多くの合格の声が届きました。
合格体験記『巣立ち』の中から
一部を抜粋してご紹介します。

英進館
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合格体験記 中学受験

僕なりの受験記

Y・Mさん

青雲中学、西大和学園中学、早稲田佐賀中学、西南学院中学、福岡大学附属大濠中学、久留米大学附設中学、ラ・サール中学 合格

 僕は、三年生の二月から英進館に入塾しました。入塾前に母から説明を受けるまでは、中学受験というものがあることも知らず、受験は未知の存在でした。入塾して周りの人が話していたことがきっかけで意識し始め、久留米附設中学校を目指し始めたほどです。
 僕には勉強する習慣がなかったので、はじめの半年は椅子に長時間座って勉強することも苦痛でした。そしてすぐにクラスが下がってしまいました。
 しかし勉強することに慣れてくると、どうにか体勢を立て直すことができました。
 習慣こそが大切でした。
「油断は敵」
 僕の成績は、受験の直前の十二月中旬まで激しい波がありました。その原因だと考えているのが、油断です。良い成績の後は勉強を必死でしなくなり、次の回で成績が落ちる、の繰り返しだったと考えています。
「緊張は味方」
 英進館のテストで良い結果を出した時は毎回「後がない!」という緊張感を持ってテストにのぞんだときでした。
 また、附設受験前日は色々な思いがあってほとんど眠れなかったが、朝、緊張や興奮で頭ははっきりしていました。そして、疲れも感じなかったです。
 このように、受験では自分にとってプラスに働くものと自分にとってマイナスに働くものがありました。また、僕の受験生活で大きな支えになったのは、弟の存在でした。勉強をしている同じ部屋で、本を読んだり、ひとり遊びをしていました。塾に行くときには見えなくなるまで手を振ってくれ、夜疲れて帰ると走って出迎えてくれました。息が詰まったときには遊ぶ。そんな毎日が僕が最後まで気力を保って受験日を迎えることができた秘訣です。
 受験日に最高のパフォーマンスを出せるように気持ちや体調を整えて、準備を進めていってください。
 最後になりますが、AクラスからTZSクラスまでの、僕がこれまでお世話になったすべての先生方、天神三号館の先生方、本当にありがとうございました。先生方の格言・名言を心に刻んでこれからも頑張ります。

算数ができなくても

H・Kさん

成頴中学、弘学館中学、佐賀大学教育学部附属中学 合格

 僕は小学校一年生の頃から英進館に通い始めました。四年生の頃まで受験の過酷さや受験に向けての意識がなかったのですが、五年生になると授業中に先生による受験関係の話が増えてきたので僕は受験について考えるようになりました。四年生や五年生のテストは偏差値は毎回五十、良いときは六十を越えていたので「これならいける!。」と自信を持っていました。しかし、六年生になって、得意な方だった算数の成績が下がっていきました。そしてあっという間に六年生の夏になりました。父が「この夏は算数と友達になろう。」と励ましてくれたので算数を今まで以上にがんばりました。しかし、思うように成績が上がりませんでした。
 夏もあっという間に過ぎ模試などが増えてきました。受験もだんだんと迫ってきたのでなんとしてでも算数の成績を上げるため、ゲームも、漫画を読むのもやめ、夜まで勉強をしました。当時の僕は相当焦っていたのでしょうね。算数の勉強だけをしているときもありました。懐かしいです(笑)。算数はくり返し問題を解いても、質問に行ってもテストではどうしても解けなくて成績が伸びなかったんです。受験へのカウントダウンも始まり、ふとあるとき頭の上に「不合格」という三文字が浮かび上がりました。家族などから「自信を持て。」と言われる中でも常に頭の中に浮かび上がってきてしまい、「不合格」のことを考えると目の前が真っ黒になったり、手足が震えたりしてしまいました。僕は暗い闇の中をさ迷っているようでした。
 あるとき担任の先生から「算数ができなくても国語、社会、理科でカバーしろ」と言われ、暗い闇の中に光が少し差し込まれた気がしました。そして頭の中から「不合格」の三文字も消え、残り少ない日数を自信を持って過ごすことができました。またこれから受験をする人で僕みたいに算数が苦手な人もいるかもしれません。国語が苦手、社会が苦手、理科が苦手という人も大丈夫です。なぜなら受験は一教科ではありません。必ず何かでカバーすればよいので!受験は必ず苦痛を伴います。ですが、その苦痛を乗り越えた先に明るい未来が待っているはずです。がんばってください。さようなら!と言いたいところですが、最後に僕たちを合格のために導いてくださった先生方ありがとうございました。これからもよろしくお願いします。さようなら!

私の受験生活

E・Nさん

西南学院中学、上智福岡中学、筑紫女学園中学、福岡雙葉中学、中村学園女子中学 合格

 私は、四年生の二月から英進館に通い始めました。入塾テストでは偏差値四十で、最初は授業も全くついていけませんでした。そのため、とにかく毎日復習は徹底的にやりました。それまで学校の宿題しかしてこなかった私の生活は一変しました。五年生の頃は日々の復習や、テストのやり直し、苦手箇所のやり込みをすることで、マンスリーテストで納得のいく結果を出すことができるようになっていきました。毎日続けることはとても大変でしたが、これだけ夢中になれたのは勉強が初めてでした。日々どんどん自分が成長していくような気がして、大変ながら嬉しい気持ちも感じていました。
 しかし六年生の夏以降になると、時間が足りず夜中までかかることも多くなり、オリジナルテストや模試でも結果を出せないこともありました。そんな中でも、正答率が高いのに間違ってしまった問題、忘れていそうな単元の復習や過去のオリジナルテストの解き直しを小まめに行いました。算数では、配られたプリントの束を先生の指示で三回は反復するよう言われ毎日とても時間がかかりましたが、そのおかげか最初苦手だった算数も段々とできるようになっていきました。
 受験直前期になるとなぜか、ケアレスミスが増えてきました。その頃になると受験に対する不安感が大きくなってきて、時間配分などがうまくできているかなど心配になり気持ちに焦りが出ていたのだと思います。そのため直前期はケアレスミスを一つでも減らせるよう、改めて問題一つ一つをより丁寧に解くことを心がけました。ケアレスミスの原因を自分なりに考えたとき、焦りによって問題の読み間違いや計算した数字の写し間違いなどが多いことに気が付いたからです。それから間違った問題だけを集めた「間違いノート」を作って解きなおすとともに、自分のケアレスミスのパターンを把握し取れる問題の失点を一つでも減らす努力をしました。この時期が一番大変でしたが、先生がいつも「主人公は自分だ」と言っていたので、とにかく自分が受験当日後悔しないよう毎日必死に頑張りました。
 受験期間中は受験前半で大きなミスをし、とても不安な気持ちになりました。しかし塾で先生に相談するととても励ましてくれ、段々と気持ちを落ち着けることができました。そして自分のやってきたことや先生に言われたことを信じ、本番に臨み無事に第一志望校に合格することができました。発表の瞬間の喜びは今でも忘れられません。
 今振り返れば、どんなに辛くても、一度も「受験をやめたい」と思ったことはありませんでした。きっと、ずっと私を支えてくれた方々の存在があったから、最後まで走り続けることができたのだと思います。一緒に頑張ったクラスの皆さん、温かくサポートし続けてくれた家族、そして、藤崎校でこれまで熱心に指導して下さった先生方、本当にありがとうございました。最後まで諦めず、目標に向かって努力を継続することの大切さと、その努力が自分に跳ね返ってくる楽しさを英進館で学ぶことができました。
 私は決して勉強ができたわけではありません。英進館の授業に必死についていき、努力し続けることで志望校に合格することができました。不安な気持ちは勉強することでしか解消出来ません。
 皆さんもぜひ後悔しないよう努力し続け、合格に突き進んでください。

油断大敵

Y・Yさん

西大和学園中学、灘中学、ラ・サール中学、開成中学 合格

 ついに受験の一月が来た。大晦日は家族と太宰府天満宮へ祈願に行き、新年を迎える準備が万全だ。そして、僕は満を持して眠りについた。
 僕が英進館に入ったのは小学四年生の夏だ。入った頃は中学受験をしようとは思っておらず、なんとなく毎日を過ごしていた。五年生になると、周りの友達は志望校を決め始めており、自分はとりあえず賢そうな久留米附設中学校を第一志望校にした。灘クラスに入るまでは。
 小学六年生の夏、僕は灘クラスに入ることができた。それまで灘中学校のことを知らなかったが、学校説明会や文化祭に行って灘中学校の自由な校風に憧れたため、僕は灘中学校を第一志望校にしようと決めた。
 一月七日、僕の最初の入試である西大和中の入試があった。僕はとても緊張していて、少しお腹が痛かった。入試前の車の中で、自分を奮い立たせてくれる曲を聴き、覚悟を決めて入試会場へと向かった。僕はお腹が痛くなりやすいので白湯やホッカイロなどの温かいもので体を温めた。受験会場に英進館の友達がたくさんいて、少し緊張がほぐれた。試験もいつもの自分のペースで解くことができ、無事合格することができた。パソコン上で見る初めての合格通知に、練習受験ではあったがとても興奮した。
 その一週間後に、僕の本命である灘中入試があった。初めての一人宿泊ということもあり、一日目のホテルでは緊張であまり眠れなかった。翌朝になっても入試を目の前にしてすごく不安だったが、電車の中で友達と話しているうちに「一緒に戦う仲間がいるんだ」と思えてきて少しずつ落ち着くことができた。
 そしてついに試験が始まった。最初の科目は国語だ。一日目は語彙力が問われる問題が多い。難しい問題もあったが、自分が解けるところをきちんと取捨選択した。次の理科では、まず得意な化学や物理などの計算から解き、生物などの簡単な問題を絶対に落とさないようにした。算数では、時間があまりないため途中少し焦ってしまったが、今まで教えてくださった先生たちの顔を思い出し、多数のひらめきもあって、ギリギリ終わることができた。その夜、英進館卒業生の現役灘校生がホテルまで激励に駆けつけてくれた。去年実際にこの戦いを勝ち抜いた先輩の励ましの話を聞くことで、「まだ諦めちゃいけない、明日も頑張るんだ。」という勇気をもらえた。
 二日目の朝。前日よりは眠れたものの、ぐっすりとまではいかず寝不足ぎみでスタート、それでも、朝ごはんを食べていつも通り過ごすことで平静を心がけ、自分をコントロールするようにした。試験は算数と国語の二科目。難しいと予想していたが、自分としてはスムーズに解くことができた。最後まで落ち着いて解くことに集中し、今回の受験の目標であった「ケアレスミスをなくす」を達成して終わることができた。
 そして迎えた合格発表の日、時間前からパソコン前に親と共にスタンバイし、その時を待った。時間になり、緊張しながら「せーの」のかけ声と共にクリック!緊張が最高潮となり手が震えていたが、次の瞬間「合格」と書かれた文字がパッと目に入ってきたときには、無意識に「わー!」と叫び手を叩いていた。文字通り僕は「飛び上がって喜んだ」ほど、とてもとても嬉しかった。
 しかし、悲劇は起こる。久留米附設中入試直前の朝四時にまさかの高熱が出てしまったのだ。「久留米附設を受けることができない。」そう思った時は悔しさでいっぱいで涙が出た。しかし、その悔しさをバネに「次は絶対合格する…」と強い気持ちで臨み、ラ・サール中と開成の両方とも合格することができた。今回の受験の結果は、五校中四勝一欠席という悔しい結果だったが、これまで頑張ってきた力を全部出し切ることができたので晴れやかな気持ちで終えることができた。
 ここで僕がアドバイスしたいことは、決して合格した後も油断してはいけないということだ。もし合格できるほどの実力があっても体調を崩し入試が受けられないのなら意味がない。全ては健康あってこそだ、という言葉を改めて痛感した受験。僕のような失敗をしないように、試験前は健康的な生活を送り体調管理をしっかりしてほしい。
 最後に、ここまで僕を支えてくださったH先生をはじめとする英進館の先生方、応援してくれた家族、共に頑張ってきた友達のみんな、本当にありがとう。
 受験生のみんなも、くじけることは何度もあると思うが、それでも自分を信じて合格という栄光を勝ち取ってほしい。諦めないで最後までがんばれ!応援してます!

僕の合格秘話

S・Iさん

大分中学、岩田中学、向陽中学、大分大学教育学部附属中学 合格

 僕は、小学三年生の一月に英進館に入りました。入った当初はSAクラスで、最初のうちは、軽い気持ちで授業や、勉強に取り組んでいました。
 しかし、六年生になると、普段受けていた授業の難しさが一気に上がり、さらには、国私立オープン模試なども始まり、自分の受験に対する意識が上がりだしました。その後は成績は伸びたり下がったりを繰り返し安定しませんでしたが、六年生の夏期講習からはなんとかTSクラスに入ることができました。
 しかし、うれしいのもつかの間、夏期講習からは、昼から夜まで授業があり、小テストへの勉強や宿題を深夜までしていたということがよくありました。それでも、一定の睡眠時間の確保ができるように気をつけました。今、振り返ってみると、この夏期講習が一番つらく、そして一番大事な時期だったと思います。
 そして二学期に入ると、夏とは違い、量よりも質を重視するようになりました。冬からは十一月以降悪くなっていた模試の結果が良くなり、モチベーションが上がりました。
 そして迎えた入試本番、大分の入試は年が明けて一週間の間に三校の入試がありました。そのため、前の入試で不安になったり、喜んだりすると次の入試に影響してくるので、結果がどうであっても一喜一憂せず次の入試に挑みました。そして結果は合格でした。
 僕は、中学受験はゴールではなく、あくまで通過点であると考え、高校入試のスタートラインに立ったという意識でいます。これからも、中学入試で培った打たれ強さを高校入試にも生かしていきたいと思っています。
 最後に、この中学受験でお世話になった先生方、教材を提供してくれた英進館、送迎や弁当などを作ってくれた家族に心から感謝しています。僕がいただいた合格は周りの人がいつも僕を支えてくれていたからこその結果だったと思います。本当にありがとうございました。

支えられて見えた景色

S・Fさん

青雲中学、早稲田佐賀中学、上智福岡中学、西南学院中学、福岡大学附属大濠中学 合格

 今、僕はうれしい気持ちでいっぱいです。なぜなら、第一志望校である福岡大学附属大濠中学校に合格出来たからです。
 新四年生から英進館に通い始めました。四、五年生の頃は中学受験に本気で向き合っておらず、合格も夢のまた夢だったと思います。
 けれども、仕事や兄弟の世話でつかれている中、僕の送り迎えやお弁当作りをしてくれるお母さんの期待に応えたいと思うようになりました。
 五年生の秋に受けた国私立オープン模試で大濠中がA判定と出て「僕でも頑張れば合格出来るかもしれない」と思い、本気で勉強に向き合う様になりました。
 しかし、オリジナルテストの国語で偏差値三十をとったり、良い成績が続かなかったりして、やる気をなくしかけている時もありました。それでも笹丘校のY先生の言葉を信じて、努力を続けました。
 六年生の夏期講習の時にTSクラスに上がり、お父さんも勉強を見てくれる様になり、成績もどんどん上っていきました。お父さんとの勉強は、中学受験のモチベーションを保ってくれていました。
 冬休みからは最後の追い込みですが、天神本館の仲間や先生達との別れが近くなり、さみしい気持ちもありました。
 そして、大濠中学校の受験日を迎え、不思議と緊張はありませんでした。後は、本番で全力を出し切るだけでした。
 最後に、僕を支えてくれたお父さんや、お母さん。いつも笑顔にしてくれる妹や弟。楽しい授業をしてくれた笹丘校のY先生。受験会場までよりそってくれたO先生。そして、英進館の先生達、本当にありがとうございました。そして、中学受験を一緒に頑張った仲間達にもありがとうを言いたいです。本当にありがとう。

勝つコツ

I・Aさん

ラ・サール中学、早稲田佐賀中学、青雲中学、鹿児島修学館中学、鹿児島大学教育学部附属中学 合格

 「コツコツが勝つコツ」
 ある学校の教頭先生が説明会で教えてくださった言葉。
 僕の家のリビングには勉強道具を詰め込んだワゴンがある。自分の部屋ではどうしても遊んでしまうし、いつでもすぐ勉強できるように。授業→宿題→テスト勉強→テストのやり直しの繰り返し。
 小六になり、ラ・サールの行事や説明会に参加し、自分も一員になりたい、友達と一緒に入学したいという思いが強くなった。
 勉強していたつもりが、直前になり自分の甘さに慌てることになる。「四科のまとめ」「ラ・サール攻略本」など、自分でやっておくべき復習が全く終わらず母に印付けやコピーを手伝ってもらい、昼休みも使って何度も解いて書いて覚え込む。時間が足りず悲しくなった。とても面倒なことだった。これが「コツコツ」。僕はいつも「甘い!」と言われてきた。やっているようでもこのくらいでいいやという気持ちがあった。
 入試直後の自己採点会からの帰り道に出た言葉は「もっと勉強したい…」反省と後悔でいっぱいだった。それでも何とか合格をもらえた。今でも信じられない気持ちでいる。
 入試では知識がきちんと実力になっているか試される。普段から満点を目指し、コツコツと解き直し、テキストを読み込み、書いて練習すること。僕のように後悔しないよう面倒なことから目をそらさず合格に向かってコツコツと頑張ってください。
 谷山校の先生方はいつも優しく迎えてくださって学校で疲れて行きたくないと思っても入館すると元気になって勉強できた。担任のY先生の授業は、国語が苦手な僕にも例えを使って分かりやすく教えてくださって、今では読書も好きになりました。甘い僕を見捨てず最後までご指導くださった谷山校の先生方、夏期講習でお世話になった鹿児島校の先生方、事務の先生、本当にありがとうございました。

みんなが支えてくれたから

I・Iさん

西南学院中学、明治学園中学、照曜館中学、筑紫女学園中学 合格

 受験は自分一人で頑張らないといけないものだと思っていました。自分で努力して自分と戦って、自分が喜ぶという気持ちで、いきたかった西南学院中学校に合格できるように塾に通いはじめました。
 塾に通いだして、はじめは良い点数をとっていました。しかし、受験が近づくにつれて国語が難しくなり、私は国語の点数がどんどん下がってしまいました。点数が上がらずに悩んでいたとき、悩みに真剣に向き合ってくれて、勉強方法を教えてくれたのが担任の先生でした。「一人で努力する」。そう思っていたけれど、私の努力を応援してくれる先生を見て、とても頑張ることができたし、うれしかったです。そして、先生のサポートで、今では得意科目になりました。
 六年生になり、テスト成績が悪かったときやライバルに抜かされたときは、とても悔しく落ち込むこともありました。でも、「次こそは絶対に勝つんだ。」その気持ちをもって精一杯努力しました。悔しさをバネにすることで、いつも以上に勉強に集中することができました。クラスには同じようなライバルがいて、みんなが努力して頑張っているから私も頑張れるのだなと思いました。
 はじめは「自分一人で戦う」。そう思っていたけれど、この受験生活はみんながいたからこそできたものだと思いました。学校の友達とは話せない受験のことを相談できる塾の仲間がいて、みんな同じ思いで受験を頑張っているのだと思うと心強かったです。
 そして、無事西南学院中学校に合格し、たくさんの人が喜んでくれました。受験は自分との戦いだけれど、みんなから支えられていたのだと感じることができました。
 最後に、ずっとクラスのみんなの夢を応援してきてくれた先生方、今は折尾校にいないけれど受験勉強を全力でサポートしてくれた先生、本当にありがとうございました。

未知なる挑戦

S・Mさん

広島大学附属中学、広島中学、ノートルダム清心中学、広島女学院中学、安田女子中学 合格

 私は四年生の春期講習から英進館に通い始めました。SAクラスからスタートし、夏期講習からTZクラスになりました。はじめは授業のスピードや宿題の量の違いに驚き、ついていくのに必死で、テストの成績も決して良いものではありませんでした。
 五年生になるとTZクラスとSZクラスに分かれ、私は二つのクラスを行ったり来たりしていました。授業時間も増え、授業を受けて宿題をするのが精一杯でした。
 それは六年生になっても続き、テストによってクラスを行ったり来たり・・・。なかなか安定せず、特に苦手な算数や理科の成績が伸び悩んでいました。
 最後の模試が終わった時点で、私はSZクラスでした。正直、このままで志望する国公立の中学校に受かるのかとても不安でした。
 それでも絶対にあきらめず、一番の基盤である授業を集中して聞き、その授業内で疑問を残さないようにすること、また、テストや模試で間違えた問題をしっかり解き直し、苦手を着実に克服していくことを徹底していきました。
 ところが、六年生の冬休み。いよいよラストスパートといった頃に、体調を崩してしまいました。焦りと不安が押し寄せましたが、まずは体調を治すことを優先し、休んでいる間はオンラインで受講し、無事に万全な状態で入試本番を迎えることができました。
 入試当日は、緊張と不安でいっぱいでしたが、「この学校で受ける入試は二度とないから後悔しないようにしよう。」と自分に言い聞かせ、問題用紙が配られたら必ず三回深呼吸をし、気持ちを落ち着かせて臨みました。
 そして、順に合格発表がありました。結果、受験した全ての中学校に合格することができました。信じられない気持ちと嬉しさで涙があふれました。
 合格に導いて下さった先生方、支えてくれた家族には感謝の気持ちでいっぱいです。
 私にとって受験は、未知なる挑戦でした。でも、ここで培った経験は、自分を成長させてくれたと思います。努力は決して裏切りません。最後まであきらめず、自分を信じていけば、きっと未来への道が切り拓けるはずです。

英進館の仲間がいたから

M・Nさん

福岡教育大学附属小倉中学、照曜館中学、小倉日新館中学 合格

 私が英進館に通うようになったきっかけは、従兄弟が英進館に通っていたことです。その影響で私も何となく通い始めました。初めは慣れない環境や勉強についていくのが精一杯でした。しかし、優しく楽しく授業してくださった先生方と、分からない問題を一緒に考えてくれた仲間のおかげですぐになじむことができました。少しずつ成績は上がっていき、成績優秀者一覧に載ることができました。
 しかし、油断してしまった私は「とりあえず勉強すれば大丈夫だろう。」と考え、勉強を作業のような感覚でやってしまったことで、成績は少しずつ落ちていき、同じ館生の仲間たちに抜かされてしまいました。そこで私はこのままではいけないと危機感を抱き、今まで活用していなかった補習時間を使ったり、授業後は宿題をノートに解き、数日後にもう一度ノートに解きなおしたりすることで、苦手を少しずつ減らしていきました。すると、少しずつですが成績も元に戻っていき、また成績優秀者一覧に載ることができました。
 その時に心の支えとなったのは、教場内で一位になりたいという目標を決めたことでした。それはオリジナルテストだけでなく、日頃の小テストも同じです。そうすることで目標に向けて今まで以上に頑張ることができました。結果は毎回一位ではありませんでしたが、それでも何度か一位になることができました。この目標が無ければ私の成績は戻らなかったと思います。
 これらの経験ができたのも、全ては英進館で出会った仲間がいたからだと思います。みなさん、英進館の仲間と過ごせる一日一日を大切にして下さい。
 そして、今まで私を支えてくれた英進館の先生方や家族、共に受験を乗り越えてきた仲間たち、今までありがとうございました。これからもお願いいたします。

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合格体験記 高校受験

諦めない力と冷静さ

S・Kさん

修猷館高校、西南学院高校 合格

 僕が英進館に入ったのは、中学一年生の春でした。春期に行ったどの塾よりも、授業がおもしろくて楽しかったので英進館を選びました。一、二年生の頃は、全くといっていいほど勉強をしておらず、TSクラスをキープするのが精一杯でした。そんな僕の勉強に対する意識が変わったのは、早稲田佐賀高校の受験からでした。受験が一月七日ということもあり、対策を全くしていませんでした。そして僕は当然不合格でした。その時、僕は「早稲田佐賀がダメで西南も修猷館も受かるわけがない。」と受験をあきらめようかと考えていました。そんな時に、K先生が僕に話をして励ましてくれました。そこから僕は「もう二度とこんな思いはしたくない。」という気持ちで勉強に励むようになりました。
 そして、西南、修猷館と、志望校に合格することができました。僕がこの長い受験期の中で学んだことは、諦めないことと、常に冷静でいることの大切さです。どんなに苦しい状況でも、最後まで諦めなければ、絶対にいいことがおこります。そして受験当日は、常に冷静でいることが大切だと思います。どんな問題が出ても、慌てずに落ちついて考えれば大丈夫です。何が起こっても動じない強いメンタルをもつことが大切だと思います。そして、模試の復習も大切です。特に大予想模試は本当によく当たります。
 最後に、僕たちが覚えやすいように体を張って熟語や文法を教えてくれたO先生、いつも親身になってよりそってくれたK先生三年間、社会や英語を上手すぎる絵と分かりやすいプリントで教えてくれたM先生、苦手だった理科の質問にいくと、どんな問題でもていねいに分かりやすく教えてくれて、理科の成績を大幅に上げてくれたA先生、常に元気で熱い授業をしてくれたO先生、本当にありがとうございました。前原校の先生方のおかげで楽しく受験を終えることができました。そして「小原をこえる」こともできました。本当にお世話になりました。

絶望からの復活

K・Fさん

弘学館高校、早稲田佐賀高校、福岡大学附属大濠高校、明善高校 合格

 公立入試二週間前、私はこれまでで一番の絶望を感じた。
 三年生の十二月、生徒会長をしていた私は明善高校の推薦に出願し、学校内推薦の内定をもらった。合格への切符に一歩近づいたことへの喜びと経験のない推薦入試に不安を抱いていた。
 一月、県外入試が終わり、推薦入試の練習が始まった。先生達は推薦入試の形式の練習だけではなく、過去に推薦入試を受けた先輩を呼んでくださったり、推薦対策で毎回激励の言葉をくださったりしてくれた。推薦入試の前日、大勢の友達から応援をもらったが夜は緊張でなかなか眠れなかった。当日、やる気に満ち溢れながら試験を受けた。休み時間も最後の最後まで対策をした。しかし試験が終わり、精一杯頑張ったのに手応えのなかった私はとても悔しく、泣きたいのを堪えながら帰った。結果、不合格だった。絶望を感じた。人生初めての不合格、私の生徒会活動も夢も私自身も全て否定された気持ちになった。涙が止まらないまま塾へ向かった。塾に着くと泣いている私にすぐに先生が気づいて呼んでくれた。優しい先生の姿を見てさらに涙が止まらなくなった。そして沢山の言葉をくれた。「あの短時間で私の全てを知れるわけじゃないし、知られてたまるものか、だから君自身が否定されたわけじゃないよ」多くの言葉の中でもこの言葉が特に私にとって救いになった。
 だが、本当の絶望はこの後だった。合格発表日から私はさらに必死になって勉強した。私の頭の中は悔しい。絶対に合格したい。早く成績を上げないとという気持ちでいっぱいだった。大予想模試のために一週間本気で勉強した。しかし、テスト当日、国語でつまづき、その後の教科でも国語のことを引きずってつまづいてしまった。結果も偏差値はほぼ上がっていない。私はさらに絶望した。一週間本気で勉強したのに私はこんなにもできないんだと深い谷に突き落とされた気持ちになった。そんな時、ふと先生が声をかけてくれた。私が抱え込んでいた気持ちを汲み取って話をしてくれた。話をする中で私は知らないうちに溜まっていた苦しい気持ちが心から解き放たれた気がして同時に涙が出た。そこからラスト二週間自分を取り戻して最後の最後まで駆け抜けた。最後の激励会で先生達の言葉を聞いて険しかった三年間が思い出され、その頑張ってきた三年間の日々こそが自分へのパワーとなった。結果、夢の明善高校に合格した。この受験期、幾つもの苦難を乗り越えて掴んだ合格だからこそ、今胸を張って学校の門をくぐることができていると思う。
 この先の受験生の皆さんには「苦しい時こそ周りに頼ってほしい」ということを伝えたい。私は時に頑張っているからこそ焦って、自分の状況を自分で知らない時があると思う。そんな時は苦しいからこそ一人で抱えるのではなく、周りに気持ちを伝えてほしい。きっと力になってくれると思う。最後に、日々一番近くで温かく見守ってくれた家族、共に切磋琢磨した仲間達、数えきれないほど多くのことを支えてくださった先生方にはとても感謝してもしきれない。私はこの三年間英進館で学べて本当に良かった。本当にありがとうございました。

先生達との思い出

N・Nさん

小倉高校、早稲田佐賀高校、九州国際大学付属高校 合格

 今新たに高校生活をスタートした今、この英進館での受験生としての日々を振り返ってみたいと思います。私は小学校六年の時から四年間英進館戸畑校に通いました。特に最後の一年間の生活の大部分は英進館と共にありました。そんな日々でも塾に行きたくないと思ったことは一度もありませんでした。それは、英進館での時間が私にとって、とても楽しく意味のある日々だったからです。
 理科は、単元によって自分の得意不得意の差が激しく、点数にバラつきがあったので、改善するために積極的に質問をしました。先生方は、授業時間以外でも根気強く私が理解できるまで付き合ってくれました。
 記述問題が苦手な私にとって国語は、点数が伸び悩んでいた教科でした。解説を読んでもどうしても腑に落ちないときは、先生に質問をして、対応していただき、理解することができました。
 英検準二級を持っている私は、英語に関しては得意教科という認識がありましたが、公立入試本番では問われ方が異なり、日々の授業の大切さを痛感しました。
 数学は教科書に載っていない方程式を教えてもらい、数学の解くスピードがアップしました。また、とにかくF先生の授業が毎回楽しく、ゲラゲラ笑って授業を受けていたことが思い出されます。
 最後に、私の出身中学校から小倉高校に進学したのは、私だけでしたが、小倉高校には、英進館で共に学んだ友達が多く、安心して高校生活をスタートすることができました。そういう意味でも、英進館に通うことは、友達と一緒に一つの問題について教えたり、教え合ったりして切磋琢磨し、勉強への理解や、友達との信頼関係を深められたことなど、今後の人生につながる多くの事を学べる場所でした。ありがとうございました。

成せば成る

S・Sさん

灘高校、久留米大学附設高校、ラ・サール高校、西大和学園高校、九州国際大学付属高校、東筑高校 合格

 ごく普通の公立中学校に通う中学生が灘高校に合格。以前の自分がこの一文を見たのなら、「そいつはただの天才だ」と思っていただろう。ただ、自身がその立場になると話は変わってくる。ここでは、自分(≠天才)がどのようにして灘高合格を掴みとったのかについて記そうと思う。
 英進館に入ったのは中学準備講座からである。その後中三のはじめまでは特に何も考えず出された課題や予習復習を適当にこなし、成績もそこそこだった。
 転機となったのは附設模試の数学で四十二点をとったことだ。このままではまずいと思い、数学に重きを置いて授業の理解、復習に徹した。その結果、夏休み直前になると、先生から天神の灘クラスに通うことを提案された。「灘なんて高嶺の花」と思いつつも言われるがままに、夏休みから天神に通うことにした。正直成績はトップクラスだったし、いくら灘クラスと言えど、授業内容はすべて理解できるだろうと高を括っていたが、一発目の数学で洗礼を受け、自分の未熟さを痛感した。周りのレベルも高く、灘の数学で満点を平気でとる人がいて驚いた記憶がある。夏休みは授業についていくのに必死で、復習があまりできなかった。とか言いつつ、実は貴重なフリータイムの授業後の夜は疲れたからとだらだら過ごすことが多く、今となっては、そこの時間を有効に使うべきだったと後悔している。
 その後は、授業・週テスト・模試を繰り返し、自分の足りない部分を補強していくということをつづけ、最後の附設模試では数学で百点を取るほどまでに成長できた。当日も培ってきた自分の実力を信じて遺憾なくそれを発揮して、無事受験校全てに合格できた。
 これから受験をする皆さんに二つのことを伝えておこうと思います。
 一つ目は、習ったことを当日の夜にマスターすることです。明日やろうは馬鹿野郎という言葉遊びがありますが、実際その通りで、次の日に、習ったことを復習しようとしても、結局できず終いでだんだんと溜まっていきます。人間誰しも面倒なことは避けたくなりますが、我慢して当日習ったことを当日復習することを習慣づけることで、本当に後々楽になります。特に社会。
 二つ目は、慢心せず、ただし自信を持つことです。英進館のハイレベルな授業や模試をいくつもくぐり抜けてきたのだから、絶対に合格を勝ち取れます。自分の能力を信じて答案を作ってきてください。
 最後に、折尾校の先生方、灘クラスの指導をして下さった先生方、切磋琢磨しあったクラスメイト、そしてメンタル面などで助けてくれた家族、自分の受験の支えとなった全ての方々、本当にありがとうございました。

努力の質

T・Kさん

佐賀西高校、弘学館高校、佐賀清和高校 合格

 僕は中学校三年生の十月に英進館に入館しました。それまでの約二年半はJクラブの下部組織に所属し、週に六日練習や試合があるサッカー漬けの日々を送っていました。そんな僕は入塾したての頃、ライバルとの圧倒的な知識の差に焦りを感じ、がむしゃらに暗記ばかりに取り組んでいました。もちろん知識をインプットしただけでは僕の成績は伸びることはなく、今となっては自分が甘い取り組みをしたことを後悔しています。このような経験を通して、「本当の努力」の姿を学ぶことができました。もちろん、努力には誰にも負けないような「量」が大切でした。まわりと差をつけるためのベースとなる部分はここにあると思います。また、数日後、数週間後、数ケ月後になりたい自分の姿を見据え、そのためにどんな取り組みが必要なのかを考えながら実践する、「方向性」があってこそ結果が出せるようになってくると思います。さらに、自分の取り組みを客観的に評価して、目標から逆算することで、いつまでに何をどのレベルまで仕上げるか考える、自分の取り組みを「管理」することが必要だと学びました。つまり、「努力」とは、「量」「方向性」「管理」の三つが揃って初めて成立すると学ぶことができました。
 そして、僕は自分を応援してくれる誰かのために頑張ることの大切さを学ぶことができました。僕は十二月に全国大会を控えているチームにとっても大切な時期に、サッカーから離れるという決断をしました。そんな中でチームメイトやスタッフの方々は僕を暖かく見送ってくれました。家族も友達もこの上ない応援をしてくれました。そのような自分のまわりの人々が支えてくれたからこそ、僕は最後の一分一秒まで全力を尽くすことができたと思います。また、そのような人々が自分のまわりにいてくれることは当たり前ではなく、とてもありがたいことだということも今回の高校受験を通して学ぶことができました。この場をかりてお礼をさせてください。本当にありがとうございました。
 高校受験は終わりましたが、僕の、プロサッカー選手や起業家として地元である佐賀県に貢献するという夢はまだ叶えられていません。高校生になったら、今回の高校受験で培った能力や持ち前の気持ちの強さを最大限に発揮して、夢を叶えるために一日一日の過ごし方にこだわっていきたいと考えています。これから受験を控えているみなさんも、日々の取り組みを大切に頑張ってください。応援しています。

凡人でも戦える

M・Fさん

熊本高校、熊本学園大学付属高校 合格

 努力は報われないもの。そう思っておかないとなかなか辛い時がある。受験時期などその筆頭だ。このままで本当に合格できるのかと、莫大な不安を抱えている人もいるだろう。私もそうだった。だが、江津校の先生方とTSの仲間たちはそんな私にずっと寄り添ってくれた。
 私は中三の夏に入塾した。入塾当初の偏差値は五十前後だったが、毎回の授業や宿題に必死に取り組んでいるうちにいつの間にかTSに。しかしここからが正念場だった。国語はもともと得意だったし、英語も順調に伸びていたのだが、他の三教科がてんで駄目。数学と理科はその時の調子に左右されて安定しないし、社会はずっと一定で何をしても伸びず、模試の結果もD・E判定が多かった。悔しくて涙が溢れることもあったが、先生方は私と一緒に真剣に悩んでくれて、友達も前を向けるように励ましてくれた。そのおかげで理社はじわじわと伸びてきて、数学に至っては常に関数で全問正解できるようになり、大きな自信に繋がった。私が合格できたのは、間違いなくそうやって最後まで支えてくれた先生方と友達のおかげだと思う。
 たった半年、されど半年。誰よりも熱くて誰よりも生徒思いなA先生、常に私たちの立場に立って解きやすい解法を考えてくれたA先生、英語の真髄を教えてくれてかつメンタルケアまでしてくれたM先生、とにかく楽しい授業だけどよくハプニングも起こしてしまうK先生、隙のない入試対策で圧倒的自信をつけてくれたM先生、そしていつも明るい笑顔で見守ってくれたH先生。江津校の先生方との邂逅で、本当に人生が変わった。また、共に高め合ってきたTSの仲間たちと、私のやりたいことをさせてくれたお父さん、いつも長い距離を送り迎えしてくれたお母さん。たった半年間の私の受験生活をかけがえのないものとしてくれた大好きな人たちに、最大の敬意と感謝を。
 そして受験生へ。冒頭で努力は報われないと述べたが、報われるまでやるのが努力だと私は思う。今まで頑張ってきた自分を信じられないなら、誰があなたを信じてくれるのだろうか。先生方や友達を頼り自分を信じれば、自ずと結果はついてくる。最後まで駆け抜けろ!

自分を変えられるのは自分

K・Aさん

日向学院高校、宮崎大宮高校 合格

 私は小学五年生の冬期講習から英進館に入塾しました。私は小学二年生のときから卓球を始め、中学生では部活動がなかったためクラブに通っていました。しかし、その道場での練習がなくなり、中学三年生からは遠い市外のクラブに通うことになりました。三年生の五月頃まではTZにいましたが、最後の中体連に集中したくて、週三ペースのTSに変更しました。そのときの私は、TZでは授業のスピードがはやく、TSだと復習になる時間が多く、この選択が正しいものなのかとたくさん悩みました。しかし、どのクラスでも努力するだけだと心を入れ替え受験勉強に熱を入れることができました。
 文武両道に励んでいる皆さんに伝えます。「きつかったこと、悔しかったこと、全て受験勉強に生きてきます。受験勉強でその思いをぶつけてください。
 ここからは、大予想プレ模試が始まる十一月からの話をします。私は数学が苦手だったため、その模試から、間違えた問題を切り貼りして自分で解いて自分の弱点のみがつまったノートをつくることにしました。もちろんきれいにノートをつくることが目的ではなくあくまで弱点を克服するためのものです。また、理科では一週間ペースで個別に過去問をもらい採点してもらいました。約七年分ほど解きました。各教科偏差値の上がり下がりはあったもののテスト三回分ほどで良い状態に持っていくことができました。授業がない日はほぼ自習に行っていました。人は一緒に頑張れる仲間がいないとだらけてしまう生き物です。
 まずは考えて手を動かしてみてください。何かが見えてくるかもしれません。それでも分からないときには英進館の先生方がついてくれていますので、たくさん質問しましょう。誰かから動いてもらうのを待つのではなく、どんどん自分から行動していってください。
 最後になりましたが、熱のこもった指導をしてくださった宮崎校の先生方、一番近くで支えてくれた家族、共に戦ってくれた仲間たちに感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました。
 「己を信じて前へ進め」

目的地に向かって

Y・Nさん

鹿児島高校、樟南高校、鹿児島純心女子高校、甲南高校 合格

 私が最初に英進館に足を踏み入れたのは、小学一年生のときだ。そこから三年間学力診断テストを受けるために英進館に通い、四年生の頃から本格的に授業を受け始めた。しかし、小学生の頃の私は、なんとなく勉強をしているだけだった。特に行きたい中学校もないまま中学受験をし、結果はもちろん不合格だった。このまま新中一になっても、一番下のクラスで、なんとなく勉強するのだろうと思っていた。ところが、新中一のクラス分けテストの結果はまさかのTSクラスだった。私が通っていた谷山校では、中一はTZとTSが同じ教室で同じ授業を受けていたため、小学生の頃チャレンジクラスだった私は、いきなりTZレベルの授業を受けることになった。そこで初めて、大きな危機感を感じた。「このままじゃ確実に置いていかれる」そう思えたことが、大きなきっかけとなった。
 中学生としての授業が始まると、私は特に復習をしっかりするようになった。塾から帰り、泣きながら勉強したり、学校の休み時間を使って塾の宿題をしたりした。そうした努力の結果、私の成績は伸び、そして安定していった。苦しいときもあったが、この勉強を継続することで、私は三年間TSクラスをキープすることができた。三年生になり、大予想模試では思うような偏差値が出せないときもあったが、模試の復習をしっかりし、自分のミスを分析することで、甲南高校A判定を取り続けることができた。
 私が中学校三年間、諦めそうになっても立ち直り、勉強を続けることができたのは、「甲南高校に合格する」という目標があったからだと思う。小学生の頃の私は、目的地がないまま旅に出て、何も得ることができなかった。だが、目的地に向かって歩き続けた中学生の頃の私は、旅の道中で、同じ目的地に向かう仲間や、努力することの意味を得ることができた。そしてなにより、自分の足で目的地までたどりついたとき、とても大きな達成感と合格を得ることができた。
 もちろん、高校という場所は一つの通過点にすぎない。しかし、これからも続いていく人生という長い旅路の中で、この高校入試で得た経験を胸に、私は次の目的地に向かって力強い一歩を踏み出せると思う。
 最後に、谷山校の先生方、九年間本当にお世話になりました。谷山校は私にとって、安心できて、楽しくて、最高の居場所です。そして、私のことを一番に思い、支えてくれた家族のみんな、本当にありがとう。

三年後の涙

M・Iさん

久留米大学附設高校、青雲高校、弘学館高校 合格

 「高校受験、したい」
 三年前のあの日、悔しくて泣いて泣いて。合格をもらっていた他校への進学を勧める母と喧嘩して泣いて。それでも三年後のリベンジを誓い、私の中学受験は終わった。
 公立中学に入学してからの私の生活は多忙という言葉に尽きた。学校、部活、塾。特に部活は運動部だったため、下校後はすぐに眠りそうなほど疲れて塾に行く体は毎回重かった。授業に遅刻することも多かったが、毎回飽きない授業や補習などで学校内の成績は安定していた。しかし、正直、志望校へのモチベーションがずっと高かったかというとそうでもない。毎日の生活に追われ、英進館内での成績は伸び悩んだし、模試や部活の試合で休日も忙しかった。自分が何をしているのか、何をしたいのか、中途半端な気持ちになることもあった。
 でも、そんな時はあの日の悔しさを思い出して、ぐっと集中する時間をできるだけ作るようにした。せめて塾にいる間はしっかり先生方の話を聞いて集中して問題を解いた。最低限、先生方に大事だと言われたことはしっかりこなした。そうしたら、授業や演習の積み重ねが難問を解く力となっていった。受験が近づき、今までのプリントを見直したとき、以前は分からなかった問題がスラスラ解けるようになっていて、嬉しかった。何より、英進館に通って、これだけのことをやってきた自分なら大丈夫だと確信にも似た自信がついた。受験当日、見たこともないような図や言葉が出てきても、今までの経験を思えば落ち着いて向き合えた。
 合格発表の瞬間、三年前とは違う嬉し涙を流した。私を信じてくれた両親、後押しをしてくれた小学部の担任の先生、そして、私に力をつけてくれた全ての先生には本当に感謝している。
 これから受験を迎える皆さん、英進館で頑張ることは受験当日の大きな自信へと繋がります。きつい日の授業も、成績が落ちて悩む日も、決して無駄な時間ではありません。毎日を大切に。応援しています。

受験成功のカギ

R・Tさん

筑紫丘高校、福岡大学附属大濠高校 合格

 私が筑紫丘高校を受験し、合格できたのには大きく二つのことが関係していると思っています。
 一つ目は、「誰にも負けたくない。」「過去の自分を超えたい。」という性格です。偏差値や点数が下がったときは落ち込み、上がったときは喜んで一喜一憂していました。特に悔しいと思った次の模試は結果が良かったのを覚えています。また、一回して悔しかった間違いは二度としなくなります。同じような問題が出てきたときはそのときの悔しさが思い出されるため、間違わなくなります。だから、悔しいと思うことは受験成功のカギになると思います。
 二つ目は、英進館に入ったことです。私が英進館に入ったのは中学三年の夏でした。約七か月という短い間でも、たくさんのことを学び、成長することができました。学校では教えてもらえないような公式、問題の解き方等を教えてもらうことができました。また、学校では私立専願や特色化入試で受験が終わる人が多くなり、二月の後半になると、受験がまだ残っている人はクラスの三分の一になっていました。しかし塾では周りの人はまだ受験が残っています。ライバルであり、仲間でした。そのような環境で勉強に集中できたことも合格につながる大切な要因だと思います。
 英進館に入っていなかったら筑紫丘高校に合格するどころか受験することすら考えていなかったと思います。英進館に入るきっかけであるテストに誘ってくれた友人、たくさんのことを教えてくださったり励ましたりしてくださった先生方。何より、一番近くで応援してくれて英進館に通わせてくれた両親。たくさんの人に支えられて私の受験は成功しました。本当にありがとうございました。

アイコン

保護者様による合格体験記

道のり

Y・Mさんのお母様

青雲中学、西大和学園中学、早稲田佐賀中学、西南学院中学、福岡大学附属大濠中学、久留米大学附設中学、ラ・サール中学 合格

 「やり切ったよ。もうどこの中学校に行くことになっても悔いはない。」
 この言葉を三年間の最後に聞けたことは、何よりも幸せでした。
 小学三年生の終わりに、週一回というゆっくりしたペースで英進館に入塾しました。好きなことを好きなだけして遊んで大きくなりましたので、学習習慣のなかった息子は当時、塾で椅子に座っていることすらとてもきついんだ、と私に訴えました。息子のためだ、息子ならきっと、という思いは揺らぎました。息子を苦しめているだけじゃないのか、これでよいのか、私たちの正解は何なのか。と、長い期間深く悩み続けました。送り迎えの車の中でたくさん会話をし、話しぶりから息子のコンディションに耳をすますとともに、話すことが気分転換になるように、なるべく息子が楽になるようにひたすら願っていました。
 表情が穏やかになり、泣きごとも言わずに机につき、成績を上げたいんだと言い長時間格闘することが多くなったのは、六年生の夏以降だったと思います。続けたがっていた習い事は二つだったのですが、この時期で辞めることを自分で決めました。
 秋も深くなってようやく目標のクラスに行くことができました。テキスト裏表紙に「ようこそTZSへ」と先生の字で書いていただいているのを見た息子の、すごくうれしそうな顔を忘れられません。
 私も息子に何が必要なのか分かりたい一心で、英進館の保護者会動画を繰り返し繰り返し、家事をしながらでも出勤中の車の中でもずっと視聴していました。家族全員で受験の日に向かっていきました。
 当初通塾をきつがっていた息子が、最後数ケ月、振り返りもせずにいそいそと英進館の中に自ら吸い込まれていく後ろ姿を、なんとたくましくなったのかと思い見ていました。
 また、平日の授業後も遅くまで自習をして退館してくる、息子だけでなくほかのお子さん達も、「十二歳というのはこんなにがんばれるのか。挑戦する十二歳達はなんてかっこいいんだ。」と、感動の気持ちで見ておりました。
 中学受験という私が体験しなかった景色を見せてくれた末に、自分の手で次のドアを開いた息子は、これからまた次のドアに向かい歩きはじめます。世界は広く、可能性は無数に広がることを、きっと体いっぱいで感じた春になったのではないかと思います。
 ただただ一日一日幸せでいてほしいと願い続けた、長い冬の後でした。
 最後になりますが、情熱あふれる先生方、職員の皆様、尊敬するクラスの皆さんに出会うことができましたおかげで息子は常に笑顔のまま完走することができました。感謝の気持ちでいっぱいです。

「先生が担任で良かった」

R・Nさんのお母様

海星中学、長崎大学教育学部附属中学 合格

 「陸上部が強い中学に行きたい。」
 娘がこう言ったのは四年生の秋頃。地元の公立中学校に陸上部がなく、所属しているクラブチームで続けていこうか検討していた時でした。娘の言う陸上部が強い中学とは受験校。つまり、娘自身が自ら中学受験すると宣言したのです。さて、塾はどうしようと思った時、先生方がどんな質問にも丁寧に答えて下さったこと、そして先生方の熱意。この二つが決め手になり、英進館にお世話になることにしました。
 最初にビックリしたことは宿題の多さでした。娘も想像以上の多さに戸惑いもあったようですが、宿題をやらずに塾に行くという選択肢はなかったようで、陸上も頑張りながら宿題をこなしていました。しばらくすると、隙間時間や休日を上手く利用することができるようになり、みんなに負けじと勉強していました。
 しかし、六年生の二学期以降は学校、陸上の大会、受験勉強と時間的にも体力的にも大変な時期がありました。すると、その大変さは成績にも表れてしまい、このままでは…。そう思っていた矢先の三者面談。お叱りを受ける覚悟で娘と臨んだのですが、担任のT先生は娘の成績表を見ながら笑顔で、「このまま行けばきっと大丈夫。必ず行きたい学校へ行こう。」
と前向きな言葉を掛けて下さいました。また、自分が学生時代に部活と勉強の両立のためにどんな時間の使い方をしていたのかを話して下さりました。その帰り道に娘は、「お母さん、T先生が担任で良かったね。先生も運動しよったけん、具体的な話聞けてめっちゃ参考になったよね。最近落ち込んどったけど、絶対合格したいけんまた気持ち切り替えて頑張るね。」
 と先生の話で今自分がやるべきことが見えたようでした。その後の娘は思ったような点数が取れなくても諦めることなく、本当に一生懸命取り組んでいました。
 そして迎えた受験当日。どんな大会でも平常心で挑めていた娘も、さすがに緊張した様子でした。しかし、会場にいた先生方と話すと落ち着いたのか笑顔で会場に向かいました。
 結果として娘は第一志望校へ合格することができましたが、目標達成できなかったため、合格したのに悔し涙が溢れていました。先生方へ恩返しをして行きたい学校へ行く。それができなかった悔しさで涙が止まらなかったようでした。
 四月からは中学生で思い切り陸上に励むことができます。これもT先生はじめI・K先生、I・M先生等長崎校の先生方のおかげです。本当にありがとうございました。また、娘は中学受験を終えて新たな目標ができたようです。今後はその目標達成のために、陸上も勉強も娘らしく全力で頑張って欲しいです。

自分で走り出した先につかむもの

M・Uさんのお母様

久留米大学附設中学、福岡大学附属大濠中学、弘学館中学、筑紫女学園中学、熊本マリスト学園中学 合格

 娘は、私立中学で充実した学校生活を送っている三歳上の姉の姿に憧れ、新五年生から正式に入塾を決めました。自分で決意したものの、入塾した頃は勉強の仕方が全く分からず、家族が横でつきっきりで教えると少し成績が上がるといった様子でした。何とか憧れのY先生のクラスまで上がったものの、何のために受験をするのか悩んだこともありました。しかし、英進館の授業は刺激的で楽しく、分かるようになる喜びを感じ、本人の口から「やめる」という言葉は出ませんでした。
 「ここ最近、Mさんの元気がないと感じています。お家での様子やお母様の声かけはどうですか?」
 十二月の最終面談日。先生がおっしゃった言葉です。受験が翌月に迫ってくる中、模試で結果が出ない日々。三年前合格した姉の、同じ頃の結果を出してきては黙って見比べる娘の様子を見て、大丈夫よと声はかけるものの、難しいかもしれないという私の不安を、敏感に感じ取っていたのかもしれません。姉の担任でもあったY先生は、「お姉さんと似たところはあるけれど、それぞれに良さが違います。Mさんがコツコツと努力している姿に目を向け、褒めて自信をつけてあげて下さい。勉強のことは心配せず、全て私達にお任せ下さい。」
 と、言って下さいました。その日から、娘の「本当に受かりたい」と思っている気持ちや、自分で努力して変われている小さな事も見逃さず、全て前向きに何事もとらえられるよう言葉かけをするようにしました。その頃から、本人も自分の目標に向かって自走し始めたように思います。
 冬期講習に入り、最終受験日までの約一か月間、娘は本当によく勉強しました。大濠の受験で突然「不安に襲われた。」と動揺していましたが、姉や姉の友達から「私達もそんなことがあったよ」と励まされ、最後まで走り抜けました。
 第一志望校の受験日。どんな表情で試験を終えて出てくるか、心配しながら待っていましたが、激しい集中の後で呆然としながら、「やり切った。全てを出し切った。もしこれで落ちていても後悔はない。」と言い切った娘がとてもたくましく見えました。結果は合格をいただいていましたが、合格不合格に関わらず、小学生のこの時期に、自分の力で目標に向かって努力できたという経験は、何物にも代えられないものとなったと思います。
 最後になりますが、姉の時からそれぞれの子の良さと頑張りたい気持ちに寄り添いながらいつも熱い指導をして下さったY先生。楽しい授業やできないところをいつも支えて下さった香椎本館の先生方、本当にお世話になりました。子供達のこれからの人生で、英進館で学んだ事やその頃の思い出は、とても大切な財産になることでしょう。ありがとうございました。

諦めない強い気持ち

S・Hさんのお父様

青雲中学、西大和学園中学、早稲田佐賀中学、西南学院中学、福岡大学附属大濠中学、久留米大学附設中学 合格

 「絶対に合格してる!」附設入試を終えた娘が開口一番に言い、私もその自信満々な笑顔を見て、きっと大丈夫と安心しました。
 算数が好きな娘は、二年生のときにパズル道場に通い出しました。当時は中学受験は考えておらず、ただ問題を楽しそうに解いて、先生に褒めて頂いて嬉しそうにしている娘を見ているだけで満足でした。その後入塾テストを勧められ、TZ判定が出たので、どうせなら一番上を目指そうと三年生夏期講習から英進館で頑張ることにしました。四年生から組分けテスト、五年生から毎週テストと我が家の生活も娘の勉強中心となっていきました。持ち前の負けん気の強さと、コツコツ努力していたおかげで、順調に成績は伸び、特別奨学生やメダルを頂いたこともありました。また、同じ目標に向かって切磋琢磨するお友達に恵まれ、たくさんの刺激を受けたことも、娘にとって大きな財産となりました。
 しかし、大事な時期に差しかかった六年生の九月、闘病中の祖父の容体が急激に悪化、そのまま帰らぬ人となりました。娘にとって初めての身内の不幸、ましてや大好きだった祖父でしたので、悲しみに打ちひしがれる姿に、私も胸が張り裂ける思いでした。成績も一気に急降下。見たことのない点数に愕然としました。
ただ、そのような状況でも附設合格を楽しみにしてくれていた祖父の墓前に、必ず合格の報告をしようと改めて決意しました。
 そして、その頃にちょうど最後の面談があり、特に算数の不調に、S先生から厳しいご指摘を頂きました。それが響いたようで、その日から娘の目の色が変わりました。テスト直しはその日のうちに提出、苦手な早起きをし、登校前に計算と国語の記述、下校後塾がない日は、すぐに附設攻略本や社会の問題集に取りかかり、どんなに眠くても寝る前は理科のチェックシートを毎日解きました。算数の立体図形の切断と転がり移動は徹底しました。
 その間、一向に成績は戻らず不安で仕方ありませんでしたが、泣き言も言わず、黙々と難問と対峙する娘を見て、ここまで来たらただ信じて、親に出来得る限りのサポートをやりとげようという思いでした。
 ようやく、算数の不調から抜け出したのは、年明けとそのまま入試に突入しましたが、附設入試の自己採点では、過去問でも取ったことのない点数で見事に合格出来ました。
 苦しかった時期に、苦手な単元を毎日続け、決して諦めない強い気持ちを持ち続けたことが、合格を引き寄せたのだと思います。そして、悲しみを乗り越えた娘は精神的に成長し、とても強くなりました。
 S先生をはじめ、春日本館の先生方には大変お世話になりました。熱心なご指導のおかげで、合格だけではなく、学ぶ喜びを知りました。心より御礼申し上げます。

中学受験を振り返って

R・Sさんのお母様

西南学院中学、早稲田佐賀中学、上智福岡中学、福岡雙葉中学、中村学園女子中学、熊本マリスト学園中学 合格

 娘が英進館に通い始めたのは四年生の夏でした。初めから中学受験を考えていたわけではなく、一緒に学習している生徒さんたちから影響を受ける形で徐々に受験を意識していったようです。中学受験をするにあたり、英進館に通うメリットはたくさんありますが、特に二つの大きなポイントがあると感じました。
 一つ目は「データ」です。「敵を知り、己を知れば百戦危うからず」という言葉がありますが、受験においてもただ我武者羅に勉強をすればいいというものではなく、如何に情報を集めるか、慢心せずに最後まで走り切れるかが勝負の分かれ道になると思います。「敵を知る」という部分では、個人で過去問を解くなどすればある程度の対策を講じることができます。しかし、「己を知る」のは、客観的なデータがなければなかなか難しいと思います。英進館のテストは偏差値や順位以外に必ず各教科・単元毎の正答率データがフィードバックされます。テストの成績が返ってきたら、まず単元毎にどこが弱点なのか娘と一緒にデータ分析をするようにしていました。
 「今回の理科は滑車の単元で得点率が低いので重点的に解き直して復習しよう。」
 「算数のテストでは設問一の計算問題で三問も落としているけれど時間配分はどうだった?見直しの時間は足りていた?」
 というふうに成績表を一緒に見ながら自分自身のデータを分析することで客観的な振り返りを実施するようにしていました。小学生のうちはどうしても全体順位や合計点数、偏差値、合格判定に目が行きがちです。また、自分が得意な単元の問題は解くのが楽しいので、ともすれば好きな問題ばかりに時間をかけてしまいがちです。成績表のデータを活用し、細部に目を向けることで自分の弱点はどこかを一緒に考えました。「己を知る」ための自己分析を可能にしてくれたのは英進館がこれまで培ってきたデータと見える化のおかげと考えています。
 二つ目は「雰囲気づくり」です。両親共にどちらかというとのんびりしており、あまりがみがみ勉強しろと尻を叩けるタイプではありませんでした。そんなある意味で、「憎まれ役」を英進館の先生方、特に六年生から担任をしていただいたN先生が担って下さいました。「安心して我々にお任せ下さい。」その言葉通り、どちらかと言えばのんびりした性格の娘が、いつの間にか目の色が変わり、グングンと成績が伸びていきました。
 また良きライバルにも恵まれました。五年生の時には同じSAクラスにとても優秀なお子さんが何人かいらっしゃって、その子たちに追い付け追い越せを目標にしてやってきました。しかし、六年生に上がる時にそのお子さん達がTZクラスにいってしまい、娘が「お山の大将」化してしまわないか少し心配した時期がありました。しかし、さすがは英進館。生徒さんの層が厚く、六年生になるとすぐに別のお子さんが入ってきて、テストの全体順位表で常に上位を張り合うほどの良きライバルとなってくれました。娘は英進館から帰ってきた後、いつも同じクラスの子のことを嬉しそうに話してくれました。一緒に頑張っているお子さん達から本当にいい影響を受けながら、いい雰囲気で学習に取り組めているということが伝わってきました。英進館の先生方やクラスの生徒さんが作ってくれる雰囲気・環境が、娘から「慢心」を取り除き合格につながったと考えています。この目標に向かって切磋琢磨した日々は、娘の人生においてもかけがえのない大きな宝物になりました。
 最後になりましたが、N先生をはじめ英進館石丸校の先生方に心から感謝申し上げます。本当にありがとうございました。

感謝

Y・Tさんのお母様

ラ・サール中学、青雲中学、志學館中等部、鹿児島修学館中学、鹿児島大学教育学部附属中学 合格

 「英進館で国語の平均点を上げていた女子はもういない。だから安心していきなさい。」
 緊張したラ・サールの体育館に笑いがおきた。
 国語が苦手な息子には、力強い励ましになったはず。
 四人兄弟の末っ子の息子は、上の子たちが通っていたこともあり、小学校準備講座から英進館にお世話になりました。
 中学受験が終わった今思うことは、「早くから塾に通わせていて良かった。」という事です。
 息子にとって塾に通うことが当たり前の事として定着していき、学習量も少しずつ増えていくので苦にならず、顔なじみの先生方にお声掛けいただきながら、六年生になっても楽しく通わせていただきました。同じ目標を持つ仲間と出会い、最後まで頑張ることができたのは、早くから通い塾に馴染んでいたからだと思います。
 家では、学習できる環境を整えてやることに専念しました。プリント整理や宿題範囲の準備。食事時間の調整や学校の準備等。学習以外でしてやれることは、できる限り手伝いました。
 六年生になり成績が安定せず、焦る日々が続きましたが、その都度、相談させていただき、乗り切ることができました。講習や合宿で教場を超えての学習の機会もあり、受験への耐性も少しずつついたように感じます。担任のY先生はじめ谷山校の先生方、教場を超えて各教科の先生方、受付の先生に至るまで、本当に多くの先生方が係わって下さり、熱心なご指導や優しいお声掛けをいただきました。そのすべてにただただ感謝です。
 中学受験はこれで終わりますが、これから始まる次の受験生活に向けて、英進館での日々を忘れずに楽しく頑張り続けてほしいと願っております。

高熱を乗り越えて:息子の不屈の中学受験物語

Y・Kさんのお母様

久留米大学附設中学、ラ・サール中学、青雲中学、長崎大学教育学部附属中学 合格

 「自分の子供には中学受験は絶対させない!」息子がそう何度も私に言い放った。時には、「パパは中学受験を経験していないよね。僕の気持ちがどうしてわかるの?」と、疑問の眼差しを投げかけることもあった。クイズ番組が大好きな彼が中学受験を目指したいと言い出したのは三年生の秋のこと。それから私たちの日々は、まさに二人三脚のような挑戦の連続だった。苦難の中にも、息子の逞しさと家族の絆の深さを改めて知るきっかけとなったエピソードを紹介する。
 ラ・サール中学の試験前日、息子は高熱を出した。引率をお願いしていたI先生にすぐに連絡。宿泊予定である同じホテルの部屋を急遽追加予約(奇跡的に残り一部屋だった)した。鹿児島入りすらできないとも覚悟したが、息子がベッドから「車で連れていってほしい」と言ってきた。彼の熱がすぐに下がることを信じ、鹿児島へと向かった。道中緊張しながらハンドルをにぎっていたことを覚えている。なんとかホテルに着いたもののほとんど飲み食いはできておらず、試験前日というのに鉛筆を握るどころかこの日は一度も椅子に座っていない。夜を徹しても三十九度を超える熱は下がらず、試験当日の朝、彼は自ら歩くことすらままならなかった。それでも息子は、試験に挑む決意を固めた。私たちは、別室受験を申し出た。第一志望校には既に合格していたため無理をする必要はなかったが、息子は「これまで支えてくれた英進館の先生方や家族を裏切りたくない。何度も挑んだラサ模試の本番を、自分の目で見届けたい、どんな問題がでるのか解いてみたい」と語った。目頭が熱くなり、冷静さを装うことに必死だった。
 試験中、学校から連絡が入るのではないかと心配しながらも、最終的には何の連絡もなかった。試験後、彼は達成感に満ち少し安心したような顔で、「国語は難しかったけど、最後までやり遂げることができた。理科と社会は得意分野だったから。」と、満足そうに話してくれた。そして、結果は見事合格。この一連の経験は、ただの受験を乗り越えたというだけでなく、息子にとってこれからの人生における大きな自信へと繋がることになった。
 息子はこの受験を通じて、自らの限界への挑戦と、それを超える強さを見せた。息子の心の成長を感じることができとても幸せだ。I・M先生、I・K先生をはじめ英進館長崎校の先生方、一緒に受験を乗り越えたTZクラスの仲間たち、受験を応援してくれた学校の友人、息子をとりまく環境全てに感謝の気持ちでいっぱいだ。私たち家族もまた、彼のその挑戦を全力で支えることで、共に学び、共に成長した。振り返れば、あの受験の日々は、息子だけでなく、私たち家族全員にとって、かけがえのない宝物のような時間だった。そして息子は笑顔でこう言った。「自分に子供ができたら、中学受験をさせてもいいかな」

英進館の四年三ヵ月

K・Aさんのお母様

日向学院高校、宮崎大宮高校 合格

 「二十八」こんな数字が偏差値として存在するんだ!衝撃だった。娘の小五冬期講習時のテスト結果だ。卓球少女は卓球部が無いお受験校に関心は薄かったが、「中学受験はしなくてもこのままだと高校受験が心配です。」との先生の箴言が応えて我が家の(なんとなく―受験)が始まった。
 そんな受験と卓球の両立の中、まさかの膝の故障、入院、手術。全く運動が出来ない日々が小六、十一月から始まった。「受験」があって良かった!!と心底思った。卓球ができない喪失感を受験勉強が埋めてくれた。入院中車椅子生活でも勉強はできた。問題を解いていると看護師さんの応援。受験勉強に本気スイッチが入った瞬間かもしれない。そして先生方の熱いご指導の下、宮大附属中に合格。
 入ってみると文武両道を目指す仲間達に囲まれ、膝もすっかり良くなり、また卓球生活が始まった。でも娘の志望は卓球選手から医師になり、学力は必然、必至。分かってはいるが負けるとやっぱり悔しいから卓球の練習もしたい。先生はそんな願いを聞き入れてくださり、週四日通うべきTZクラスを三日通いで受け入れて下さった。中三夏の中体連まで卓球に集中したい旨も最後は受け入れてくださり「英語と数学だけは頑張っていこうね。」と押さえるべきポイントを常に意識させてくださった。
 中三、十月、E判定を取ってしまった時には、「卓球で負けると悔しいでしょう。それと同じだよ。成績で負けるのも悔しいでしょう。」と優しく諭してくださった。
 十一月からは勉強に専念したが私は(間に合うのか?)ドキドキだった。が、受験当日朝娘が差し出した手紙を見てその心配は払拭された。(安心して待っていてください。『人事を尽くして天命を待つ』行ってきます!!)
 先生方の絶妙なお導きのおかげで第一志望校に合格できました。わがままを聞いてくださりながら温かく見守ってくださいました事に感謝申し上げます。ありがとうございました。

「息子、人生の学びを得る」

Y・Iさんのお母様

弘学館高校、祐誠高校、久留米高校 合格

 「三年生になったら勉強する」「部活を引退したら本気を出す」と言っていた息子は、夏休みに入ってもペンの代わりにテニスラケットを握り、こんがり日焼けしていました。本人の希望で英進館に転塾したものの、いつになったら本腰を入れるのか。つい口うるさく言いすぎてしまう私は、サポート上手な母親ではありませんでした。
 十月半ば、成績が上がり始めたのをきっかけに、変化が訪れます。自宅学習は苦手だから塾の授業がない日は自習室に通い、休館日には市の施設を利用して猛勉強。二学期末は、志望校のランクを上げることを見据えた上で、高い内申点を取る必要がありました。しかし、満足のいく結果は出ず、ランクアップは諦めることに…。この時、担任のN先生が「今の成績なら、当初の志望校の上位一割に入れます。最終目標は大学受験です!上位をキープするためにもこのまま頑張りましょう!」と力強く息子の背中を押して下さいました。この声かけが、彼の意識を変えました。努力を重ねて私立入試を突破、公立入試の自己採点では、好成績を手にすることが出来ました。もっと早くスタートしていたら、と後悔した息子。公立試験の翌日から高等部の東進で先取り学習に着手、変わらぬ勢いで毎日勉強を続け、「春休みにどれだけ差をつけるかが勝負!」と楽しそうに前を向いています。
 転塾のきっかけをくれた部活仲間の友人とは、声を掛け合って共に勉強し、受験を戦い抜きました。先生方の熱い思いに支えられ、仲間たちと切磋琢磨した時間は、自分を信じて頑張る力となりました。高校生活を謳歌する中で、迷い立ち止まることもあるでしょう。でも、様々な思いのなか大学受験を目指してスタートを切った今の気持ちは、きっと忘れないはず。母親の私にできることは、生活を整え、ケンカせずに、息子を信じて笑顔で見守る。私も成長したいと思います。本当にありがとうございました。

子の受験を客観的に振り返って

H・Oさんのお母様

志學館高等部、鹿児島高校、樟南高校、鶴丸高校 合格

 「受験生に人権はない」これは中学三年生の冬休み初めて一日中塾で勉強をして帰ってきた息子が、笑いながら私に言った一言です。私も笑いながら「よし、頑張れ」と言いました。彼は小学六年生の時、友人が塾に通うので自分も行きたいという事で英進館に入塾しました。当時は目標等無く、中学受験もせず漠然と勉強していた様な印象でした。
 中学に入ると弓道部に入部し部活に熱が入り、家では学校と塾の宿題をする程度でした。
 今、振り返ってみると塾では定期的に学力診断テストがあり、現状属しているクラスから落ちないようにとテスト前は少し頑張って勉強していた気がします。三年生に上がり部活を引退してようやく彼は、高校受験に対し勉強に取り組む姿勢が変化していきました。一日のスケジュールを見直し、テレビを見る時間等を削る事で勉強時間がすこしずつ増えていきました。その結果、模試の成績は最後まで大きく上下する事無く、緩やかではありましたが確実に、学力は向上している様で、スマホに送られてくる五角形のグラフを見て安心しておりました。三者面談でも担任のO先生には、丁寧な説明と心強い言葉を頂き、徐々に志望校を絞っていく事が出来ました。有難うございます。二月の追い込みを経て、無事に息子は、第一志望校に合格する事が出来ました。長らく英進館に通わせて頂き、私から学習面で何か言う事はほぼありませんでした。先生方には本当に感謝しております。また、塾生のライバル達が優秀だったおかげで最後まで競争心と緊張感を保ち受験に立ち向かえたのだと思います。冒頭の言葉を借りるなら、束の間の人権を取り戻し、有意義な高校生活を楽しんでほしいです。その先の目標を見つけた時、次は何と言って私達を笑わせてくれるのでしょう。その時、頑張れ以外の気の利いた言葉で励ませる様、「二人三脚」共に成長していきたいものです。

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